けろの漫画雑談所

漫画の感想・考察・妄想の集積所です。主にジャンプ作品についてだらだらと語ります。

【考察】「術式が死ぬ」とはどういうことか【呪術廻戦】

Hatena

 ども、けろです。

 今回は作品の大筋からは少し離れますが、作中の設定で気になった点を少し考えていこうと思います。

 

 単行本15巻の虎杖vs真人のワンシーンで、虎杖のブラザーことベストフレンド東堂葵が以下のように述べていました。 

 

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*1

 

 今回はこの「俺の術式はもう死んでいる」、つまり「術式が死ぬ」とはどういうことかについて軽く考えていきましょう。

 

 

1.東堂の発言、「俺の術式はもう死んでいる」

 

 まずこの発言をしたシーンですが、東堂は自らの右手と、切断した左手の断面を合わせて打ち鳴らしています。が、術式「不義遊戯」は発動せず。

 これにより真人の注意を引き、虎杖渾身の黒閃をぶつけることに成功したわけですが、本来なら発動するはずだった東堂の術式がここでは発動していません。

 

 当初は花御戦で見せた「発動させたように見せかけて実は発動していない」というブラフの可能性も考えましたが、東堂がわざわざ「俺の術式はもう死んでいる」と述べていたことから、別の可能性を考える必要性が出てきました。

 

 シンプルに考えると「東堂はもう術式を使うことができない」ですが、これにもいくつかのパターンが考えられるなと。

 

2.術式は「何」に宿るのか

 

 まず大前提として、そもそも術式が何に宿るのかについて考えていこうと思います。

 

2-1.「生まれ持った肉体」に宿る説

 

 最もシンプルかつ、作中で開示された設定と齟齬がないものになります。

 作中で五条が述べているように、生得術式というのは基本的に生まれた時点で肉体に刻まれているものになります。

 

 加えてその術式というのは、特定の肉体部位・器官をトリガーにして発動することが多いです。狗巻の呪言は「声(=喉)」、脹相・加茂憲紀の赤血操術は「血液」という身体の一部を媒介にして術式が発動します。

 

 東堂の術式「不義遊戯」の発動は「手のひらを叩くこと」がトリガーとなっていますから、彼の場合は「両手」でしょうか。

 

 これが失われたということは、文字通り彼の術式は「失われた」ということになります。逆に言えば、欠損した腕を再生させることができれば「生き返る」可能性もあります。

 

2-2.「魂と肉体セット」に宿る説

 

 次に、肉体に魂が紐付けられているという関係性から、魂もまた生得術式が宿る一部として考えることができます。

 

 真人の「無為転変」は魂の形を変えて肉体をねじ曲げる術式ですから、これをこねくり回されて片腕を失ったのであれば、「本来術式が宿っていた形の魂」が失われたということになりますから、東堂が「術式が死んだ」というのも納得ですね。

 

 個人的にはこちらより前者の方がストレートであり得そうですが。

 

2-3.東堂の術式は「消えてはいない」が「もう発動できない」可能性

 

 個人的には、術式はシンプルに肉体に宿ると考えていますから、東堂の発言を分解して考えることができそうです。

 

「俺の術式は、もう死んでいる」

 

 これは、「生得術式そのものは消滅していないが、術式の発動条件である腕の一部を失ったため、もう発動することができない」であると解釈できます。

 

 無為転変により変形した肉体は、反転術式でどうこうできるものではないと既に作中で明言されていますから、これをひっくり返す術式やルールが出てこない限り、東堂は今後術式を使うことができません。

 

 もちろん、真人との戦いでみせた「相手の掌を利用する」という搦め手もありますが、相手は中・遠距離戦を主体とする者だった場合これも通じません。

 

 最も東堂は近距離戦でほとんど無敵に近い戦闘力を誇りますから、ゴリラ枠として残る可能性も十二分にありますが。

 

3.他の術師に置き換えてみる

 

 さて、最後にコラム的な考察として、「他の術師の場合、どうすれば術式が死ぬか」について考えてみましょう。

 

 前述の通り、狗巻棘は呪言を武器に戦う術師です。彼の術式は「言葉が音に変換され、それを相手に聞かせること」で効力を発揮します。

 であるなら、それを封じる術はいくつかあります。

 

1.狗巻の喉、正確には声帯を潰す(=発話できない状態にする)

2.こちらの脳を呪力で守るor意図的に鼓膜を破る(=呪言の作用をなくす)

3.呪言の声量をかき消す轟音・騒音等をフィールドに流す(=呪言をかき消す)

 

 こういった舞台・状況であれば彼の術式は(実質)「死んだ」ということになります。

 

 加茂憲紀・脹相の赤血操術でいえば渋谷事変で虎杖が行ったように水を降らせることで「(体外での術式発動を)殺す」ことができます。

 

 釘崎の芻霊呪法は、人形とハンマー(状の武器)を失えば「死ぬ」と言えますし、伏黒の十種影法術にしても両腕を拘束or切断すれば影絵を結ぶことができなくなるので「死んだ」と呼んでも差し支えはなさそうですね。

 

 

 こう考えてみると、「術式を殺す」ことは(特定の術式に限って言えば)可能だと考えられそうです。

 要するに「術式に対して対策を練る」というだけの話ですが、術師というのは術式が生命線なところがありますからこれらをやられると結構な痛手になりそうです。

 

 

 個人的には東堂のハイセンスゴリラな戦い方が結構好きなので、何かしらの方法で復活してくれたらめちゃくちゃ嬉しいです。一部の熱狂的な東堂ファンもきっと喜ぶので。

 

 

 というわけで今回はこの辺で。

 

 それではまた。

 

 よしなに。

*1:引用:芥見下々『呪術廻戦』第15巻、集英社、p161