ども、けろです。
呪術もヒロアカもない週がようやく終わるということで、希望の光が見えてきました。生きていけます。
今までは【考察】では考察記事を、【感想】では各話に対する感想をそれぞれ書いていたんですが、それだけだと掬い切れないトピック、もといクソデカ感情が残ってしまいます。要約するとクソデカ感情が行き場を失って暴れてしまいます。
というわけで各トピックとか、色々な作品を読んでいて抱いたクソデカ感情をちょろっとの考察を含みながら綴っていきます。Twitterで140字には収まらなかった感情の掃き溜めです。
1.「私達は最強なんだ」から感じる夏油達の「自負」
単行本8、9巻で描かれた懐玉編・玉折編における五条達と天内理子の関係性、その中で天内理子の選択を尊重しようとする夏油が微笑みとともに放った一言。
「私達は最強なんだ。
理子ちゃんがどんな選択をしようと、君の未来は私達が保証する」
この言葉は、確かに夏油と五条が特級術師であることを鑑みると妥当な発言ですし、彼らならきっと誰が相手でも天内理子を守ってくれるのだろうという安心感を与えてくれます(まぁ甚爾によって殺されてしまいましたが……)。
夏油はかなりの人格者です。五条があんな感じなのでその分しっかりしなきゃいけなかったというのもあると思いますが、それを差し引いても彼はかなりしっかりしている人間で、発言もきちんとしたものばかりです。
その彼が自身を指して「最強」と呼称したのは、天内を安心させるための方便というよりも確固たる自負があるからじゃないかなと。
彼らは無下限呪術・六眼持ちと呪霊操術使いという、客観的に見ても第三者からの(術師の等級としての)評価を見ても、明確に「最強」だと思います。
ただ、「客観的に彼らが強者であること」と「自分自身を最強だと自覚すること」は異なるのではないか、と。
当時の彼らは高校2年生、年齢に直すと16〜17歳の子供です。
実力面で言えば確かにそこら辺の大人が束になっても敵わない術師ですが、精神面で言えばまだまだ途上の子供であることを、他者は自覚しなければいけないのだろうとも思いました。
2.「特異な扱い」を受けていた五条・夏油と、「子供扱い」された虎杖
そういう意味で、五条と夏油に対して「対等な立場」で接することができる人物というのは当時いなかったのだろうなと思います。
精神面がまだ未熟であるにも関わらず実力が先行してしまったが故に、彼らにきちんと矯正したり道を正す立場の人間がいなかった。唯一夜蛾学長だけは彼らに目をかけていましたが、それでも十分足り得なかったのだろうなぁ。
要するに五条・夏油の2人は高専の内外から「特異な術師」として扱われていて、彼らに「子供」として接してくれる人というのはいなかったんでしょうね。
それと対比になっているのが本編主人公・虎杖だなと。
彼は特級呪物・両面宿儺の指を受肉し、天性のフィジカルも相まって類まれな戦闘力を誇ります。宿儺を取り込んでいる時点で(京都校の面々のリアクションにもあったように)彼は「化け物」として扱われてもおかしくなかったはずなのに、彼の周囲にいたのは彼を「友人」「後輩」「教え子」として等身大の接し方をしてくれる人たち。
極めつけは七海健人の発言です。
「ナメるナメないの話ではありません
私は大人で君は子供。私には君を自分より優先する義務がある」
ナナミン〜〜〜〜〜(泣)
あんたが虎杖の側にいてくれる大人で本当によかったよ〜〜〜
というクソデカ感情はさておき、虎杖が腐らずに高専での日々を送ることができたのはこういう「子供扱いしてくれる大人」がすぐそばにいてくれたからだなぁとしみじみ思います。
3.夏油を歪ませてしまった要因
夏油傑が闇堕ちしたのは、守る対象だった天内理子が目の前で殺されたこと、天内理子の死を盤星教の信者達が笑顔で迎えているのを見てしまったこと、そのことで葛藤していた最中に「非術師の虐殺」を九十九に肯定されたことや幼い少女が迫害されていたこと等々、挙げればキリがありませんが、個人的には「それをすぐそばで止めてくれる人がいなかったこと」が一番の要因だと思っています。
五条と夏油が独りで任務に出向いていた時、蛆のように湧いた呪霊を夏油が懸命に祓っていた時、「無理するな」と声をかけてくれる人がいたら、きっと彼は踏みとどまっていたんじゃないでしょうか。
もうね、こういうことを考えると苦しくなってしまいます。
どんなに考えても過ぎたことですし、夏油の死は覆しようがない事実ですが、どこかで何かが違っていたら、きっと彼は今も術師を続けていたし、あわよくば高専の教師として教鞭をとっていたのかなぁと。
という、行き場のないクソデカ感情です。