けろの漫画雑談所

漫画の感想・考察・妄想の集積所です。主にジャンプ作品についてだらだらと語ります。

【感想】BLEACH千年血戦篇主題歌・"スカー/キタニタツヤ"が最高すぎる【BLEACH】

Hatena

 ども、けろです。

 先週から10年の歳月を経て遂に放送が始まったBLEACH千年血戦篇のアニメ、皆さんは観ていますか。ちなみに僕は第1話開幕数秒で泣きました(ガチ)

 

 そんなアニメBLEACH最終章、主題歌を歌い上げるのはBLEACH20周年を記念して開催された原画展、『BLEACH EX.』のテーマソングを担当したキタニタツヤ。

 

kero-entame-channel.hatenablog.com

 

 僕はもう原画展の主題歌『Rapport』を聴いた瞬間に彼の世界観に魅せられてしまい、今回の主題歌『スカー』も2億回聞きました。ちなみに3分の曲を2億回聞くと1200年くらい経つそうです。

 

 というわけで今回は、そんなアニメBLEACHの主題歌『スカー』を聴いた感想をゆるく書いていこうと思います。個人的な歌詞の解釈や考察なんかも混じっていますので、苦手な方はブラウザバック推奨です。

 

 

「飲み込んできた悲しみの全てが僕を形作った」

 

 BLEACHの主人公、黒崎一護は「自分の大切な人を護りたい」と願う高校生です。その物語は死神・朽木ルキアと出会うところから始まり、彼女から力を与えられた一護は様々な戦いの中に身を投じていきます。

 とはいえ一護は無敵でもなんでもなく、物語の中で色々なものを失っています。

 幼少期には母親を虚・グランドフィッシャーに殺され、そのグランドフィッシャーにもトドメを刺す直前で逃げられ、ルキアを追って現世に現れた朽木白哉との戦いで死神の力を失い、そこから先の物語でも敗北と喪失を繰り返していました。

 

 これはこの後の歌詞全般にも言えることだと思うんですが、僕はものすごく黒崎一護だなぁと思いました。

 この後に続く「そうして歩いてきたんだろう?」も、なんだか自分に言い聞かせているような気がして、ちょうど千年血戦篇でユーハバッハに相対した一護が言った「"絶望"が何だって?よく知ってるぜ。今まで何度も乗り越えてきたんだからな」という台詞がリフレインしました。

 決して順風満帆とは言えなかった一護の歩み、一護を形作るものは喜びの類だけじゃないんだよな〜〜〜と。

 

 この直前の「何度も何度も折れた魂(こころ)をただ抱きしめるだけ。いつか灰になるその日まで」もすごく示唆深いんですよね。折れた心を抱きしめても、そこには何もないはずで、その行為にどんな意味があるのかと問われれば、それはただ無意味に自分の心を慰めているだけかもしれません。

 でもきっと、一度折れてしまった魂をそっと自分の内側に仕舞って、欠片の一つ一つを抱えて生きていく、その歩みそのものに意味があるのではないかと思わされるわけです。「魂(こころ)」「灰」という単語を目にすると、僕はどうしてもあるキャラクターを思い出します。一護との戦いに敗れ、心の在処を知って灰になった破面・ウルキオラです。ウルキオラも最期、心を抱きしめながら逝けたんだよな〜〜〜〜〜〜と。

 

 

「この掌の数えきれない消えなくなった傷跡が僕の証だ」

 

 先ほどの歌詞と同様、「今の自分」とは何かを問う歌詞です。掌にあるのは今まで自分が負ってきた数々の傷跡。でもそれを抱えて前に進んできたからこそ今の自分があって、それを指して「僕の証」と呼ぶのなら、それってめちゃくちゃ等身大だなって思います。綺麗なだけではない自分の姿を「僕の証」と呼ぶの、死ぬほどかっこいい。

 

「与えられた明日に意味などないと」

 

 この歌詞を見て真っ先に思い出したのは、作中でのアスキン・ナックルヴァールと浦原喜助のやりとりです。

 

「3つの世界を潰した後に陛下が何を創るのか、それを見たいと思わねえのか?」

「誰も見たことのないものを創るなら自分の手で。それが科学者ってもんス」

久保帯人『BLEACH』73巻、p16-19

 

 あとは最終話の藍染の独白ですね。

 

「人はただ生きるだけでも歩み続けるが、それは恐怖を退けて歩み続ける事とはまるで違う」

久保帯人『BLEACH』74巻、p226

 

 この二つはどちらも、自らの手で世界を切り拓き、生きていくことの意義と意味について、異なる立場の人物が述べた言葉です。

 ユーハバッハが創ろうとする世界をただ享受するのではなく、自らの手で未来を掴み取る。その「過程」そのものに「意味」があり、誰かによって「与えられた明日」という「結果」には意味はない。そんな感じでしょうか。

 

「闇に抗って選び取って明日を強請るあなたの美しさに憧れてしまった」

 

 ここほんっっっっっっっっっとに大好きです。

 なんならこの直前の「ただ立ち止まって座り込んで終わりを待つなら、後悔も失望もいらないのに」って部分から大好きすぎて5億回聴きました。

 これも前段の歌詞と同様、ユーハバッハが創ろうとしていた「恐怖のない世界」に対する一護達のアンサーというか、彼らの「勇気」の物語を象徴している部分だと思っています。

 

 あと、これは僕なりの解釈というか考察ですが、この部分で「あなた」を見つめる人物、僕は藍染惣右介なのではないかと思いました。

 「闇に抗って選び取って明日を強請る」というのは、千年血戦篇の物語に照らし合わせるのであれば主人公・黒崎一護の行動に思えます。強大な力を目の前にしても抗い続ける勇姿を表した歌詞ですが、だとすると一護を見つめて「あなた」と呼ぶ「誰か」がいるはずです。

 

 BLEACHの最終話は、成長した一護やルキア達の子供世代が描かれ、そこに藍染が「勇気」についての持論を説いて完結したわけですが、藍染が語る「勇気」の担い手が一護であることを踏まえると、あり得そうな解釈だなと。

 

 仮にそうだとすると、藍染は一護に対して「憧れ」という、彼の理解から最も遠いはずの感情を抱いていたことになりますね。それはとても皮肉ですが、その圧倒的な強さのせいで対等に語り合える存在を持たなかった藍染が「憧れ」に足る存在を見出すことができたのであれば、それは彼にとっても救いになったのではないかな、と。

 

 たかが歌詞の一節をどんだけ深読みするんだよって話ですが、それくらいの奥行きを感じさせるキタニタツヤの歌詞がヤバいんですよ。いや本当に。

 

「向かい合ったあの恐怖も刻んで、共にまた歩き出した」

 

 で、最後はこのつよつよ歌詞で締めくくるんですから最高&感無量以外の言葉が見つかりません。

 恐怖を自分の中に刻み、恐怖を退けて歩み続ける。BLEACHという物語を語る上で、これほど綺麗でピッタリ合う言葉があるでしょうか、いやない(反語)。

 ちょっと気になるのは、「共に」というのが何を指しているのかというところでしょうか。歌詞通りに真っ直ぐ考えるなら「恐怖」と共に歩んでいく、と考えられますが、「あの恐怖も刻んで〜」という部分があることを踏まえて少し深読みするなら、一護の中にいる内なる虚あたりも匂わせられていたりしそうです。

 

 原画展でキタニタツヤワールドに惹き込まれた僕ですが、今回の楽曲にも完全にノックアウトされました。

 

 BLEACHアニメは分割4クールなので全クール『スカー』が使われるのかはわかりませんが、仮に主題歌が変わるならその時もキタニタツヤに担当してもらえたら最高だな、と思ったりもしています。

 

 また久しぶりのブログ更新になってしまいましたが、これからもゆるくやっていきます。

 

 

 それでは。

 

 よしなに。