ども、けろです。
昨年12月から今年の1月にかけて東京は渋谷ヒカリエで開催され大盛況だったBLEACH原画展、皆さんは行きましたか。
実は東京で開催された直後、大阪での開催も決定し、現在は4月18日まで大阪の大丸ミュージアムにて原画展が開催中です。関西近郊にお住まいの方は是非一度足をお運びください。
ちなみに僕はというと、ファンクラブ限定のプレビューデイ参加をキメる権利を獲得し、開催開始の前日である12月17日に一足先に原画展に行ってきました。その時の感想記事は下記の通りです。
kero-entame-channel.hatenablog.com
さて、そんな大興奮の原画展だったわけですが、僕はこの日から"とある日"を首を長くして待っていました。
そう、「原画展で購入した高精細複製原画が届く日」です。
この高精細複製原画、受注生産で発送が4月上旬と言われていたので、12月の原画展から数えて4ヶ月弱待っていました。ちょうど購入したことを忘れかけていた頃の発送、本当に神がかり的なタイミングとしか言えません。
というわけで今回は、自宅に届いたBLEACHの高精細複製原画の開封記事になります。画面越しではありますが僕の魂の叫び声をお聞きください。
1.ダンボール、デカくない?
"それ"はちょうど昨日(4月6日)の夜7時頃のことだった。
家のインターホンが鳴り、「佐川急便です〜」の声。玄関に向かうと夜の配達で少しくたびれた様子のマスク姿のおじさん配達員がデカい"何か"を持って立っていた。おじさんは知らないのだろう、自分が何を運んでいたのか。"それ"が一体どれほどの重さを持ち、輝きを湛えているのか、大切に抱きかかえながらもその価値を知らないおじさんは、無傷なままで人を愛そうとしているようだった。
その"何か"を手にした配達員は、両手で抱えていたそれをなんとか片手と足で支える体勢で持ち替え、僕に受領のサインを求めてきた。
この時点での僕の心境は、そのデカすぎる"何か"の形状を見て"全て"を察していた。
ガジェットが入っているにしてはやけに薄く、生活用品が入っているにしてはあまりに縦と横にデカすぎるその形状…………"アレ"だ。"アレ"がきた。約4ヶ月前に唇が血で滲むほど悩み抜き、悲鳴を上げる財布と翌月のクレジットカード支払いという"痛み"と引き換えに手にした"幸福の権利"。クレカを握らなければグッズは買えない。クレカを握ったままではグッズを抱きしめられない。
それは"グッズ"と呼ぶにはあまりに荘厳で、"推し活"と呼ぶには気が引ける金額だった。
配達員の手前叫ぶわけにもニヤけるわけにもいかない僕は、多分ここ数年感じたことがないであろう心臓の鼓動を抑えながら、平静を装って"それ"を両手で受け取った。
そして"それ"を部屋に置いて一言。
「デカくね????」
いやマジでデカい。1Kの部屋を埋め尽くすんじゃないかという大きさ。
もちろん僕は12月に"それ"を実際に目にしている。現物の大きさをこの二つの眼で確認しているし、瞼の裏には今でも"グッズ売り場"で煌々と輝く姿が焼き付いている。
それを踏まえて。
「デカくね???????」
いや明らかに大きい。
この時点で僕は興奮に脳神経を破壊され「アッ……」「ヒィッ……」「アアアアア」以外の語彙を喪失した獣と化していたわけだが、それでも僅かに残った理性が言っていた。「デカくねぇか」と。
この時の自分は明らかに「早く開封したい自分」と「後からこの感動を伝えるために写真に残しておきたい自分」が双殛の丘で戦いを繰り広げていて、結果的に"テレビのリモコンとの比較"という意味不明な写真1枚しか撮っていなかった。
なぜこんな写真しか撮っていなかったのか。興奮で脳をやられた人間の考えることは謎である。
この写真を満足げな表情で撮り終え、一通りの開封と飾り付けが完了してから「テレビのリモコンサイズってメーカー毎に違うんじゃ?」と気づいたわけだが、そんなこと当時の僕が分かるはずもない。
ただそれでも、なんとなくでいいから伝わってくれることを祈っている。本当に予想していたよりも全然デカい。包装が厳重という意味ではあるんだが、それでも中に入っている"モノ"への期待と興奮がこの時点で天元突破していた。
2.大迫力の複製原画の"圧"がとんでもない
厳重な梱包を開封していき、最後のダンボールを退けてもなお、"それ"は本当の姿を隠していた。まるで藍染惣右介にすら刀剣解放第二階層を隠していたウルキオラのように。
この時点で包装のほとんどが取り除かれているのだから、こんな梱包をする必要は本来ならないはずだ。
受け取ったダンボールよりも一回りほど小さい"それ"は、後ろ姿だけでも圧倒的な霊圧を放っていた。雀蜂の二撃決殺ですら封じ込めた藍染惣右介のような超軼絶塵たるその"圧"は、まさしく本物が放つそれだった。
そして僕は、逸る気持ちと今にも張り裂けてしまいそうなほど早く鼓動を刻む心臓をなんとか抑えつけ、斬魄刀を解放する吉良イヅルのように心の中で呟いた。
「面を上げろ」
ゆっくりと、まるで超人薬でも服用した時のように流れていく視界。
そして"それ"は僕の前に姿を現した。
理性の全てが破壊された瞬間。
あっ。
あっ。
あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜😭😭😭😭🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏
ありがとう久保帯人先生。
ありがとうジャンプ編集部。
ありがとう原画展に携わった全ての関係者の方々。
この日が来るまで、僕はありがとうを言う練習をし続けていた。僕がこの瞬間を迎えられたのは、原画展を開催し、グッズを作成し、それを望む全てのファンの手元に届けようとしてくれた全ての関係者のおかげなのだから。
そして"それ"を目の当たりにした瞬間、僕の心は感謝の感情で満たされ、「これが心か」と静かな確信を得ていた。
至近距離で見ても、その尊さは欠片も焦ることはない。
読者の心を鷲掴みにするその罪深さは太陽に似ていた。
真名呼和尚がいたのなら、この感情に名前をつけてもらいたい。
BLEACHの魅力の一つに、とにかくセンスと魅力に溢れた敵組織、敵キャラクターの存在がある。
主人公一護の前に立ちはだかり好敵手となったグリムジョー。
初めて姿を現した成体の破面にして、一護を追い詰めたウルキオラ。
ノイトラ、アスキン、スターク、エス・ノト、ザエルアポロ、バズビーも彼らに負けない魅力を持った素晴らしいキャラクターであり、彼らが一堂に会するこの原画は、まさしく"救済"と呼ぶに相応しい一枚だと思う。服
装、表情、アクセサリー、立ち振る舞い、その全てがあまりに"完成"されているのだ。霊王が生まれる前の世界も、もしかしたら似たような姿をしていたのかもしれない。
もう一度言おう。全ての方に、ありがとうと。
3.壁にかけるとそこはもう原画展
ただ開封するだけでは"原画"の意味がない。
破面が刀剣解放して初めて本来の力を取り戻すように、原画は壁に飾ることで初めてその真価を発揮する。
それがこれである。
新しい日本の観光名所。
素晴らしすぎる。
あまりに調和が取れたその姿。まるで最初からそこにいたような、圧倒的なハーモニー。
右の原画は原画展当日に購入したものであり、自分で購入した額に入れて飾っている。
右の原画ももちろん素晴らしい。価格以上の荘厳さ、雰囲気を放っているのは間違いない。
だがやはり、"高精細複製原画"は格が違う。どちらも大虚の部類に入るが、最下級大虚と上級大虚ほどの違いがあるだろう。
もちろん最下級大虚を悪く言う意図は微塵もない。アーロニーロは作中で初めて刀剣解放した十刃として描かれ、読者に畏怖を刻んだ最下級大虚の破面だ。
だが最初から専用の額縁に入れられ、色使い・筆致・バランスの全てが高次元で再現された"高精細複製原画"というやつは、それとは別種の霊圧を放っている。まるで空の上に海があるような異質さだった。
これからの僕の暮らしは、この原画達と共に送ることになる。
きっと僕は、ただ生きるだけでも歩み続けることができるだろう。
ただその暮らしは、原画を携えて歩み続ける事とはまるで違う。
だから僕はこの歩みに特別な名前をつけよう。
"勇気"と。