けろの漫画雑談所

漫画の感想・考察・妄想の集積所です。主にジャンプ作品についてだらだらと語ります。

【考察】BLEACHアニメの"書き下ろし巻頭歌"の意味ー日番谷冬獅郎編ー【BLEACH】

Hatena

 ども、けろです。

 BLEACHアニメ・千年血戦篇も早いものでもう3話目ですね。僕は毎話毎話鳥肌まみれで感動に打ち震えているんですが、皆さんはいかがでしょうか。10年越しに現代の作画技術で蘇ったBLEACHの世界観が本当に凄まじくて、感動以外の言葉がありません。

 

 今回はタイトルでもお気づきの通り、BLEACHのアニメで描かれた"あるオリジナル要素"について、軽く考察をやっていこうかなと思います。

 

 それではやっていきましょう。BLEACH考察回です。

 

https://bleach-anime.com/

1.おさらい:最高すぎる次回予告

 

 まず大前提として、今回のBLEACHの次回予告ははっきり言って"イカれて"います。これはもちろんオタク特有の褒め言葉ですが、僕がああだこうだ言うよりも先に第1話で披露された次回予告を見ていただいた方が手っ取り早いと思います。

 

 

 この次回予告が流れた瞬間、全国の敬虔なBLEACH読者の皆さんはきっと一緒に口ずさんでいたでしょう、この巻頭歌を。

 そう、次回予告で流れたこの詩は、BLEACH最終章・千年血戦篇の単行本に収録された巻頭歌であり、上記の次回予告は千年血戦篇が始まる単行本55巻、ユーハバッハが表紙の単行本に収録されたものでした。

 単行本表紙のキャラが、その巻頭歌を次回予告で詠み上げるという演出のヤバさはBLEACHにハマった人ならきっと分かっていただけるでしょう。

 

 そして、それは初回だけの特別な次回予告、というわけではありませんでした。

 続く第2話で流れた次回予告。それは第56巻で表紙を飾った滅却師、キルゲ・オピーの巻頭歌でした。

 

 

 あの超大御所声優山寺宏一さんこと山ちゃんの声で巻頭歌を聞けるというだけでもう大満足なわけですが、この時点で勘のいい視聴者は気づいたわけです。あ、これ全話でやってくれるんだ、と。

 そして同時にこうも思ったはずです。分割4クールで描くには巻頭歌の数が足りないぞ、と。

 

2.アニメ第3話で描かれた"書き下ろし巻頭歌"

 

 そんな期待と不安を抱きながら訪れた先日の第3話。

 エピソードはユーハバッハ率いる「見えざる帝国」が尸魂界に侵軍を開始する、というところで終わったわけですが、定石通りなら次回予告は第57巻、朽木白哉が表紙の巻頭歌のはずです。

 

散りて二度とは 咲かずとも

炎のごとくに 散るぞ美し

 

 卍解を奪われ滅却師に敗北し、ゆっくりと死へ向かっていく白哉の最期(厳密には白哉は死んでおらずこの後復活を遂げますが)を描いた巻頭歌であり、僕はテレビの前で歌い出しの「散りて〜」を読み上げる準備をしていました(ガチです)。

 

 ですが流れたのは、朴璐美さん演じる日番谷冬獅郎の声

 そして詠み上げられた、全く知らない巻頭歌。

 

 

焼き払われた氷原に

翼の影が溶け残る

近付いても 近付いても

掌をすり抜ける 翼の影が

 

 まさかの原作者・久保帯人先生書き下ろしの巻頭歌。思わず立ち上がって拍手しそうになりました。ちなみにちょっと泣きました(ガチです)

 

 この巻頭歌は、それを詠んでいる(=単行本の表紙となった)キャラクターの精神性や人物像を表している場合が多く、意味の解読が難しいものもあれば、直感的で分かりやすいものもあります。

 

 というわけで、今回はこの『日番谷冬獅郎の巻頭歌』について、その意味やニュアンスについて少し考えていきましょう。

 

3.「焼き払われた氷原」

 

 出だしのこの部分。意味だけを読み取るのであれば、「氷雪系の斬魄刀である氷輪丸を奪われた」ことの暗喩だと言えます。物語の展開的におそらく次の話で朽木白哉・砕蜂・狛村左陣・日番谷冬獅郎の隊長4名が卍解を奪われるでしょうから、それを暗に仄めかした巻頭歌と言えそうです。

 

 ですが、実はBLEACHの作中では過去に「氷原」という言葉が使われたことがあり、もう少し踏み込んで考えることができそうです。

 過去、単行本32巻に日番谷冬獅郎にスポットを当てた読み切りが収録されていました。

 

https://onl.la/b1cEAq2

 

 これは劇場版第二弾の公開を記念して描き下ろされたエピソードですが、その読み切りのサブタイトルは「-16 氷原に死す」でした。

 この読み切りは日番谷が死神になるきっかけとなったストーリーですが、自身の巨大すぎる霊圧で祖母を殺しかけた日番谷は、「在り処を求めて進むと決めた。この氷原に死すとも」という独白と共に死神への道を歩み出しました。

 加えて読み切り冒頭で日番谷は「氷原の夢を見る」と独白しており、読み切りの中で彼は巨大な氷の龍ーー氷輪丸と出会います。

 

 つまりこの文脈における「氷原」とは、そのまま「日番谷冬獅郎という人物の精神世界」そのものを指しており、それが「焼き払われた」というのは、星章(メダリオン)という卍解を奪掠する技術によって強制的に世界を土足で踏み荒らされ、元あった世界(=氷輪丸)がなくなってしまったということを意味していると考えられます。

 

4.「翼の影が溶け残る」

 

 そこに「翼の影」「溶け残る」という言い方。

 「翼」の持ち主はもちろん氷の龍・氷輪丸のことであり、それは「溶ける」という表現からも読み取ることができます。

 「影が溶け残る」というのは、「そこに氷輪丸がいたという痕跡を感じ取ることができる」と読み換えることもできそうです。影というのは本来肉体にくっついているものですから、本体がいなくなったはずの世界にそれが「残る」というのは、氷輪丸が完全に消えてしまったわけではなく、僅かな残滓をそこに残している、ということなのかもしれません。

 そして「影」とは、滅却師ら「見えざる帝国」を彷彿とさせる言葉です。現世に現れたアズギアロ・イーバーンは一護に対して「この影は選ばれた者しか隠さない」と述べていましたし、こうした言葉の端々にもエッセンスが詰まっているようにも感じられます。

 

 つまり(原作でも描かれた通り)滅却師らが使用した「星章化(メダライズ)」という技術は、あくまで死神の「卍解」のみを標的として奪い取る能力であり、魂の精髄そのものは奪い取れない、と言えます。ゆえに卍解を奪われた死神達は始解のみで戦うことを強いられたわけですが、後の展開を知った上で巻頭歌を読み解くと、意外とそこら辺のニュアンスまで含まれていてびっくりします。

 

5.「近付いても 近付いても 掌をすり抜ける」

 

 これは「氷輪丸に歩み寄る日番谷」「その歩みとは対照的に、呼びかけに応じてくれない氷輪丸」を表していますが、ここで先ほどの読み切り「-16 氷原に死す」を振り返ってみます。

 自分の内側に存在する「声(=力の鼓動)」を微かに自覚していた日番谷は、それを指して次のような独白をしています。

 

声が聞こえる

こだましている

圧し潰すような 包み込むような

この掌に落ちる 雷鳴のような

 

 ここでも巻頭歌と同じく「掌」という言葉が出てきました。「掌に落ちる雷鳴」とは、「今の自分が抱えるには大きすぎる力」とでも換言できるでしょうか。

 ですがその力は確かに日番谷の「掌」にあったわけで、それが今や「すり抜ける」わけですから、氷輪丸が日番谷の手元を離れ、敵の手に渡ってしまったことを感じさせます。

 

 過去の単行本の描写を読んでいくと、今回の次回予告はかなりはっきりと「日番谷の精神世界」「卍解の奪掠」「侵食する滅却師の力」が示唆されていると言えそうです。

 もちろんパッと読んだだけでそれを感じさせる直感的な分かりやすさもありますが、その奥に感じさせる絶妙なニュアンスや言葉選びが、実にBLEACHだなと思わされます。本当に感動と感謝が止まりません。

 

 今後も書き下ろし巻頭歌があった際はこんな感じでなんちゃって考察記事を書こうと思います。

 

 

 それではまた。

 

 よしなに。@