けろの漫画雑談所

漫画の感想・考察・妄想の集積所です。主にジャンプ作品についてだらだらと語ります。

【感想】第326話『お前は誰だ』|オールマイトを「オールマイト」足らしめる者【僕のヒーローアカデミア】

Hatena

 ども、けろです。

 今週の月曜が祝日ということもありジャンプの更新自体は土曜だったはずなのに、気がついたらもう金曜になっていました。ジャンプの発売日からあまり間を置かずに更新するぞ!という意気込みはなんだったのかという思いです。しくしく。

 

 

 というわけでだいぶ日が空いてしまいましたがやっていきましょう、ヒロアカ感想回です。

 

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1.ステインとオールマイトの問答

 

 先週雄英高校を後にしたオールマイトの姿は、デクが敵と戦った広場に。自分の銅像を見上げ、首に「I AM NOT HERE(私はここにいない)」というプラカードがぶら下げられたのを見つめて「お前は弟子が辛い時何もしてやれなかった」と悔いるのが本当にしんどいですねこれ。

 デクにとってオールマイトはただ側にいてくれるだけで支えとなっている存在なのに、オールマイト自身は「何も(具体的な行動を)できない自分」に対して引け目を感じているというのが互いの思いがすれ違っているのを示しています。そんなことないんだよオールマイト……と真正面から声をかけても今のオールマイトには届かなさそうというのが余計にしんどさを増しています。

 

 そこに「それは英雄への冒涜か?取り消せ愚人」と刃を向けるのはかつてデク達に敗れ、監獄タルタロスに収監されていたヒーロー殺し・ステイン

 脱獄後その動向が描かれておらず、水面下で何かしら企んでいそうとは言われていましたが、まさかここでオールマイトと対面するとは思わなかったですね。

 

 ここでのステインとオールマイトの会話がめちゃくちゃ印象的でした。

 

オールマイト「私はオールマイトだよ。この見た目じゃわからんよな」

ステイン「違う、おまえはオールマイトじゃない

 

 ステインの知るオールマイトの姿というのはトゥルーフォームではなくワン・フォー・オール発動時のマッスルフォームだと踏んで一瞬体を肥大化させたオールマイトですが、それでもステインは「おまえはオールマイトじゃない。贋物め」と眼差しを崩しません。

 

 ここのステインとオールマイトの会話がすれ違っているのはまさしく「認識の差」で、彼らは互いに違うものを見て「オールマイト」と思っているんですね。

 今のオールマイトにとって「他人に自分がオールマイトであることを証明する方法」というのは「ガワ」を見せることであって、ステインにとってのオールマイトは「ガワ」の話ではないんだ、という。

 

2.誰が「英雄」を定めるのか

 

 それを象徴するように、彼らのいる広場に一人の女性の姿が。

 彼女は雨の中一人で広場に現れ、オールマイトの銅像にかけられた「I AM NOT HERE」のプラカードを片付けて銅像を綺麗にしています。

 

ステイン「オールマイトが最後に救った女だ」

 

 かつてのオール・フォー・ワンとの激戦の中、瓦礫の中に取り残されていた女性を救うため、オールマイトは逃げることなく立ち向かい、そして力を失いました。言わばこの女性というのは、オールマイトがそのヒーロー生活の締めくくりとして救けた最後の市民というわけですね。

 

 で、ここからのステインの台詞が本当に示唆深いです。

 

「オールマイトはいかなる時も笑ってその身を人々に捧げた!それは個性(ちから)に依るものではない!」

 

おまえ如きがオールマイトを量るな!

 

 いやお前の目の前にいるのはオールマイトやぞ、という反論が出るのもわかりますが、ここで彼が言いたいのはそういうことじゃないんですよね。

 オールマイトが残したものというのは、個性の有無だとか、実績だとか、境遇だとか、そういうものに依存しない、「象徴としての英雄像」なんですよね。それは次世代のヒーローだけでなく、彼女のような一市民の中にも小さな火として宿っている。

 

 

 全くの別作品ですが、僕は映画『響』のとあるワンシーンを思い出していました。ちなみに原作は漫画です。

 劇中終盤、芥川賞に何度もノミネートされるも受賞を逃し続けていた売れない小説家が飛び込み自殺をしそうになった時、偶然その場に居合わせた主人公・鮎喰響(演・平手友梨奈)はバッサリと言い切ります。

 

「自分が書いた小説がつまらないと思ったから死ぬ?

 10年書いていたのなら少なくともあなたの小説を面白いと思った人はいるわけでしょう。人が面白いと思ったものに、作者の分際で何ケチつけてるのよ」

 

 映画館でこれを見た時、僕は一瞬意味がわからなかったんですが、すぐにこの主人公が何を言いたいのか理解できました。「自分が何かをした時、それに対する評価を下すのは自分じゃない」と。

 

 これ、今回のステインとオールマイトの会話にも当てはまる気がするんですよね。

 オールマイトは「かつて人々を救った姿」を「オールマイト」だと思っていて、自分で「今の私は足を引っ張るだけ」と結論づけています。

 対してステインは「容姿とかそういうことではなく、意思そのもの」を指して「オールマイト」だと思っている。だからそれにそぐわぬ発言をしたならば、例え相手が当のオールマイト本人だったとしても刃を向ける。

 

 オールマイトは既に多くのものを人々に残し、与えてきた。だったらその意思や姿勢そのものが「英雄」としてのオールマイトであり、人々の理想なんだろうなと。力を失ってもなお、オールマイトは「終わってない」んですね。

 

 

 こういうのをさらっとぶち込んでくるあたり堀越先生の技巧に舌を巻きます。マジでここ最近のエピソードの作りがうますぎて毎週「これは神回」って連呼してる気がします。いや誇張抜きで。

 

 ステインが残した「情報」には何が載っているのか、そして彼らが次に取る行動とは。

 

 というのが非常に気になるところです。

 

 

 それでは今回はこの辺で。

 

 

 よしなに。