けろの漫画雑談所

漫画の感想・考察・妄想の集積所です。主にジャンプ作品についてだらだらと語ります。

【感想】第325話_『つながるOFA』|ヒーローが暇を持て余す社会へ【僕のヒーローアカデミア】

Hatena

 ども、けろです。

 ここ最近の展開がアツすぎて干上がりそうになっているんですが、この調子だと最終回の熱量で北極の氷が全部溶けそうです。ヒロアカのアツさでツバルが海に沈む。

 

 さて、前回は「僕のヒーローアカデミア」というタイトルの意味を回収するというとんでもない神回でした。いやまじで泣きました。その前の爆豪のデクに対する「今までごめん」でもオンオン泣いたのでいよいよ命の危機を感じています。ちなみにその前はヒロアカの映画で泣きました。

 

 というわけで今回もやっていきましょう、ヒロアカ感想回です。

 

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1.「来たよ」

 

「だから僕…来たよ!だからもう泣かないで大丈夫だよ!」

 

 今週はこれが本当に印象に残りました。

 洸汰くんといえばヒーローの両親を"敵"であるマスキュラーに殺され、それがきっかけでヒーロー嫌いになってしまった過去を持ち、そのトラウマをデクが救ってくれた経緯のあるキャラクターです。言い換えるならそれは「オールマイトに救われたデク」のリフレインとしての立ち位置であり、「絶えることのない人と人の繋がり」を象徴する関係性でもあります。

 そんな洸汰くんが、ボロボロに傷ついたデクを救けるために駆け出し、かつて市民を安心させるためにオールマイトが放っていた「私が来た」を彷彿とさせるセリフを(泣きながら)笑顔でかけている。見れば見るほど感動に打ち震えます。

 

 だってその姿は「ピンチに笑顔で駆けつけるオールマイト」という、今や失われてしまった「象徴」が、それでも人々の心の中には宿っていることの証左であり、彼が残した「光」は未だ健在であることを表しているからです。洸汰くん……(´;ω;`)

 

2.ヒーローと市民が、共に手を取り合うことの意味

 

 で、それは何も洸汰くんに限った話ではなく、他の人の中にも残っているんですよ。

 おっちゃんの「俺は"客"、ヒーローたちは舞台の上の"演者"だった」という語りがそれを物語っています。

 

 かつて現れた「オールマイト」という「記号」は、人々に「平和と安寧」を与える代わりに「自己(≒市民)」と「他者(≒ヒーロー)」という不可視の区分を与えてしまった。誰も彼も「ヒーローが(≒オールマイトが)救けてくれるから」という認識を獲得した結果、自分の手で誰かを救うということを忘れてしまった。

 

 でも、そんな「舞台化された世界」というのはもはや失われ、人々はその「本質」を問い直されている。それはつまり「ヒーローとは何か」という根源的な問いかけであり、逆に考えれば「何をする存在がヒーローなのか」という問いでもある。

 これってもの凄くこの作品を象徴しているテーマな気がしています。何せ「こうなる前の社会」というのは、市民とヒーローが「ライセンス」によって明確に分けられていて、「ライセンスを持ち、富と名声を獲得しながら奉仕活動をする存在」を「ヒーロー」と呼んでいました。

 社会基盤が根底からひっくり返り、社会のあり方が根本から変わってしまった今、「ヒーロー」という言葉の意味そのものが問い直されているんだ、と。

 

 

 だからホークスの独白が響くんですよね。

 

「オールマイトが緑谷くんに繋いだ。

 緑谷くんをA組が繋いだ。

 ウラビティが人々と緑谷くんを繋いだ。

 

 そして人々が、もしも全員が少しだけ、"みんな"の事を思えたならきっとそこは、ヒーローが暇を持て余す、笑っちまうくらい明るい未来です」

 

 

 今の社会で「ヒーロー」とは、「富と名声のために奉仕活動をする、ライセンスを持った人物」を意味しません。そこにいるのは「他人のことを想い、共に手を取り合い、支えるために動ける人」であり、それこそが「ヒーロー」なんじゃないかと。

 

 

 そう考えると、第1話のオールマイトの言葉がまた違った意味になる気がしませんか。

 

 

「君はヒーローになれる」

 

 

3.雄英に背を向けるオールマイト

 

 と思っていたら最後の最後でちょっと不穏な雰囲気になってません???

 相澤先生と校長先生のやりとりで「さぁこれから反転攻勢の時間だ」という空気になったと思ったら、雨の中雄英に背を向けて歩くオールマイトの姿。

 

 

 え、もしかしてオールマイト、「私が緑谷少年にしてやれることはもうない」とかいう心境になったりしてる???????ダメだよ?????

 これまでオールマイトがデクにかけていた言葉は、「オールマイトにしか吐けない言葉」だったのは間違いありません。「私が来た」に代表されるように、オールマイトが言うから意味があった言葉がたくさんあります。

 

 確かに今回の話で、誰しもが「来た」という言葉を言えるようになったと思います。

 でもそれは「オールマイトの存在に意味がなくなった」ということでは断じてないはずです。むしろ「オールマイト以後の社会」を人々が築き始めたからこそ、そこにはオールマイトがいなきゃダメなんですよ。だって「みんな」の中には「オールマイト」も含まれているんだから。

 

 

 これが杞憂で終わってほしいと思いつつ、かつてのサー・ナイトアイの予言の予言である「凄惨な死を迎える」を思い出して震えています。頼むから死なないでくれオールマイト……デクのそばには貴方が必要なんだ……

 

 

 ちょっと来週以降の展開次第ではマジで立ち直れなくなりそうです。

 

 降り続く雨が早く止んでほしい。お願いだから。

 

 

 というわけでまた次回。

 

 

 よしなに。