けろの漫画雑談所

漫画の感想・考察・妄想の集積所です。主にジャンプ作品についてだらだらと語ります。

【感想】読切_それは紛れもない「青春」の一幕【16歳の身体地図】

Hatena


 ども、けろです。

 最近のジャンププラス、めちゃくちゃ力入ってませんか。

 連載陣だけ見ても『怪獣8号』『SPY FAMILY』『ダンダダン』『推しの子』『左ききのエレン』等々、ジャンプ本誌以上に盛り上がっている作品が多いです。

 

 そういえば『チェンソーマン』の藤本タツキ先生も元々はジャンププラスで『ファイアパンチ』を連載していたし、良い意味で色々な作家がその実力を試せる舞台として機能しているのではないでしょうか。

 最近だとリボーンの作者の天野明先生が『鴨乃橋ロンの禁断推理』を始めたり、黄金期のジャンプ本誌を彩ったベテラン勢も参戦するなど、集英社の力の入れ具合が伺えます。『チェンソーマン』の第二部もジャンププラスに移籍連載ですしね。

 

 

 というわけで、そんなジャンププラスでまたもやビビッとくる読切に出会えたので、それを取り上げようと思います。

 

 それではやっていきましょう、『16歳の身体地図』感想回です。

 

 

f:id:kero_0441:20210601134105p:plain

 

1.「生理」は「タブー」なのか

 

 青春漫画と聞いて読者が思い浮かべるのは、きっと男女の恋愛であったり、スポーツに打ち込む姿であったり、勉強に励む姿だったりするのだと思う。それは良い意味で「青春の一幕」の切り抜きであり、読者が経験しているか否かに関わらず「眩しさ」をもたらす役割があります。

 

 だから恋愛の些細なことで悩むキャラクターに感情移入するし、複数のヒロインの中から誰を選ぶのかでヤキモキしたりする。主人公達のチームが強豪校に負ければ悲しいし、厳しい練習の末ライバルチームに勝つシーンはとてつもない興奮とカタルシスをもたらします。

 

 

 でもそれらって「切り抜き」であって、そこにあるはずの「10代の葛藤」というものって描かれてこないんですよ。

 漫画というページ数が限られた表現媒体である以上それ自体は仕方のないことだけれど、ラブコメで主人公に恋する女の子も、スポーツ漫画のマネージャーにも、およそ少年漫画に登場する全ての「女性キャラクター」には「月経(生理)」があり、漫画のコマで描かれていないところでそれを経験しているはずなんです。

 

 でも悲しいかな、「生理」という言葉には「汚い」「恥ずかしいもの」「隠すもの」というイメージが付き纏ってしまう。

 小学校の修学旅行前には女子生徒だけが教室で先生から生理に関する話を聞かされるし、保健体育の授業で習う「初潮」「二次性徴」という言葉は、あくまで「知識」として学ぶだけにとどまってしまって、多くの「生理を経験しない人」は具体的なイメージを持つことができない。

 令和の時代になってもそれはあまり変わっていないように思うし、大学でジェンダー学をかじっていた僕的には1日も早くイメージが改善されてほしいなと思うわけです。PMSの辛さや生理の貧困、生理痛の重さを一人で抱え込んでしまうこと等、当事者にはなれなくても「知る」ことはできるはずなので。

 

 

 この『16歳の身体地図』という作品は、10代の少女に訪れる身体変化である「生理」を隠すことなく描き、生理にまつわる葛藤を繊細に表現するという新しさを提示してくれました。

 1ページ目から「今日体育あるのに、(生理の)2日目かぶるとか最悪…」とトイレで項垂れる主人公・キリカの姿は漫画のキャラクターであるはずなのに「リアル」だし、これまで描かれてこなかった側面としての役割があるように思う。

 

 

 いやすごいですよこれ。

 キリカが学校の廊下でナプキンを手渡された時、近くにいた男子生徒が「うわ…それって」と気まずそうな顔をするシーン、突然訪れた初潮に困惑する友人・美都のシーン。そこにいるのは紛れもなく「生理というものが存在する世界に生きるキャラクター達」

 

 

 これを少年漫画媒体で掲載するのか。

 編集部グッジョブすぎる。

 

 

 という月並みの感想を抱いた漫画でした。

 

2.「身体地図」という言葉の意味

 

 作中で何度も登場する「身体地図」という言葉。

 主人公のキリカは「頭の中にある自分の体のイメージ」と語っており、これは要するに「自分の体をどれだけ使いこなせるか」ということです。

 

 バレー部の美都はその大切さをキリカに諭され、それ以降自分の体を自由に動かせるようにストレッチに力を入れたりする。

 

 で、このキリカはかつてバレーをやっていたけど、二次性徴のタイミングで身長が止まってしまい、それがきっかけで自分の体を嫌いになってしまった。

 

 キリカと美都の対比は、単に身長差や体格差だけでなく、その根本にある「生理の経験の有無」に依拠しています。

 美都の体を見て「何にも邪魔されず伸びたような長い手足」と評するその背景には、生理(と同時期に訪れてしまった二次性徴)が遠因で成長が止まってしまった自分の体への嫌悪感があり、「生理のある主人公」と「初潮を迎えていない美都」が「自分の体への向き合い方」で綺麗な対比になっている。

 

 

 それを表す最たる言葉が「身体地図」なのかなと。

 「自分の体を自由に動かせること」が「体の地図」であるなら、「生理」は自分がコントロールできない不確定要素であり、地図上に勝手に広がった「シミ」なわけです。

 

 だからキリカは生理をきっかけに自分の体が嫌いになってしまったし、美都は生理の訪れに対して「生理くるの怖かったんだ。でも今はなんか、受け入れられると思う」と前に進んでいます。

 

 初潮がきた直後に自分の体の動きが「地図」から離れていないか確認した美都の心理描写がめちゃくちゃに繊細で丁寧だし、10代の少女が抱く葛藤がそこにありました。

 

「重たい身体を引きずりながら

 揺れる身体を宥めながら

 

 わたしたちはわたしを生きていく」 

 

  最後のキリカの独白は、自分の体を受け入れ、前に進んでいくことの決意を表しているように感じました。彼女がかつて辞めたバレーに再び向き合えたことがとても嬉しく思います。

 

 あと編集部のアオリ文も秀逸ですね。

「避け得ぬ"成長"、地図に記し(ルビ:うけいれ)て、進む」はまさしく主人公達の歩みを示しているし、彼女達がこれから先も真っ直ぐ歩んでいくことが暗示されていてめちゃくちゃスッキリする読後感でした。

 

 

 こういう漫画が増えてほしいですね。

 

 と同時に、こうした漫画を「社会派」と呼ぶ風潮がなくなっていけばいいなと思います。

 

 何故ならそこに描かれているのは、紛れもない「日常」の一幕なのだから。

 

 

 

 それではまた。

 

 

 よしなに。