けろの漫画雑談所

漫画の感想・考察・妄想の集積所です。主にジャンプ作品についてだらだらと語ります。

【考察】六眼は天元の一部である可能性【呪術廻戦】

Hatena

 ども、けろです。

 ジャンプ最新145話で名探偵コナンと錯覚するほどの情報量を与えられた我々読者ですが、時間をかけて読み解いていくとコナンというよりエヴァとHUNTER×HUNTERであることに気づきます。

 

 そこで浮上した一つの可能性について、今日は考えていこうと思います。

 

1.仮説の提示

 

 まずは恒例、本考察における仮説の提示からスタートします。

 

 仮説:術式を看破する特殊な眼・六眼は元々天元の一部であった

 

 何を言っているんだと思うかもしれませんが、考察における一つの可能性として楽しんでもらえたらと思います。トンデモの部類ではなく、一応作中から論拠も引っ張っています。

 

2.「因果」における六眼の位置付け

 

 まず六眼に関して明らかになった設定を、天元の台詞を元に読み解いていきます。

 

「「天元」「星漿体」そして「六眼」これらは全て因果で繋がっている

 

 前半の二つ、天元と星漿体に関しては特に疑問点はありません。これら二つは密接に結びついており、星漿体と同化することで天元は「安定」しますから、その点で彼らが「因果」によって繋がっているというのはなんら不思議ではありません。

 

 そもそも「因果」という言葉には「原因と結果」という意味がありますから、「天元が安定する」という結果に対して、「星漿体を生贄に捧げる」という原因「因果関係」として成立します。切っても切れない関係、と言い換えれば分かりやすいでしょうか。

 

 では翻って「六眼」はどうでしょう。

 六眼と天元・星漿体が関わっているような描写はこれまでにはなく、六眼というのはあくまで「突出・変異した身体機能の一部」という位置付けで描かれていました。

 

 ただ天元は、「これらは全て因果で繋がっている」と言い切りました。

 つまり「六眼」と「天元・星漿体」の間には、「切っても切れない関係」が存在している、と考えることができるわけです。

 

 あるいは「原因と結果」の意味することが「天元が産まれた結果、星漿体と六眼が産まれた」だと解釈することもできそうです。いずれにせよこれら三要素は密接に繋がっている関係であるということです。

 

3.「同時に2人は現れない」発言から再考する六眼の本質

 

仮定:六眼は身体機能の変異・延長ではなく、輪廻する概念系能力である。

 

 六眼というのはこれまでは「視認するだけで術式情報を看破する」「呪力がサーモグラフィーのように見える」という描写から、「ものすごく優れた眼」だと考えられてきました。要するに「時折術師に顕現する、特異体質のようなもの」だと、読者の間では理解が進んでいました。六眼に関する直接的な説明描写はなかったので。

 

 ですが今週号の天元の「因果で繋がっている」「同時に2人は現れない」という台詞から、そうではない可能性が浮上してきました。

 

 

 というのも、本当に純粋な特異体質であるなら、天元と星漿体のような先天的・運命的に結ばれた存在でもありませんし、六眼持ちが複数人現れてもおかしくないからです。

 別作品の例を出すと、ヒロアカの"個性"のようなものよりも、ワンピースの「悪魔の実」の方が近しいと言えそうです。

 

 要するに六眼というのは、生まれ落ちた瞬間から天元と(何かしらの理由で)結びついた、時を超えて輪廻する概念的存在だと言えるということです。ここでは仮にそれを「六眼因子」と呼称します。

 

4.天元と六眼の機能的類似

 

 そもそも今の天元と、六眼というのは性能面でかなり似ていると言えます。

 

 天元は天地と同化することであらゆる空間に存在することができ、結界を通じてあらゆる事象を見聞きすることができます。コイツの前ではプライバシーが存在しない。

 

 六眼も、対象を視認することで術式情報を看破したり、呪力の流れを見切ったりすることが可能という点では、全知の眼と呼び替えることができそうです。

 つまり天元と六眼がセットになると、「全てに目を通すことができ、そうして目にした全てを看破することができる」存在になるというわけです。

 

 

 この機能的類似が、「天元と六眼が繋がっている」という仮説の根拠①になります。

 

5.天元の四ツ目+両眼="六眼"という図式

 

 これはキャラクターのデザインからのアプローチになりますが、天元のフォルムというのはデュエル・マスターズのバケツマン(古い)のような形状に目が4つという異形です。

 

 この「目が4つ」というフォルムが、「単に異形として位置付けたいというメタ的な理由」ではなく、「現在の天元を描く上で目の数は4つでなければならない」と考えるとどうでしょうか。

 

 天元の目の数は4つ、そこに六眼使いの両眼を足すと「六つの眼」になります。

 

 つまり「六眼」というのは、単に「第六感的能力を持った眼」という意味のみならず、「本来ならば六つの眼を持つ天元の眼」を指す名称であり、それを現在は人間に「六眼因子」として貸し与えていると考えることができるわけです。

 

6.羂索は六眼持ちも狙い、過去の同化の儀に六眼持ちも同席していた

 

 ではそもそも何故人間に貸し与える必要があるのかについてですが、これも今週号の天元の台詞から読み解けそうです。

 

「羂索は過去に二度六眼の術師に敗れている。二度目の羂索は徹底していた。星漿体も六眼も全て生後一月以内に殺した。

 それでも同化当日に六眼と星漿体は現れた」

 

 ここで気になるのは、「羂索は星漿体のみならず六眼持ちも殺害の対象としており」、かつ「六眼持ちは星漿体同化の儀に参列していた」という2点です(参列、ではなく単なる"出現"の可能性もありますが)。

 

 そもそも「天元の安定化」に必要なのは星漿体だけのはずですから、六眼を狙う必要がありません。

 また星漿体だけが天元の同化に必要なら、そもそも六眼が現れる必要もありません。

 

 これらのことから逆算すると、「天元と星漿体の同化に際し、六眼持ちの同席は必須である」ということです。何故かまでは分かりませんが、同化の助力として必要であったとか、同化の際には(六眼を備えた)「完全な状態」でいなければならないとか、理由は色々と考えられそうです。

 

 この仮定に関しては天内理子同化の儀に際して六眼持ちの五条が禪院甚爾にやられていたというのが唯一の難点ですね……

 六眼なしでの同化は可能だが、不完全な形になるとかでしょうか。

 

 

 情報が少ない中での考察でしたので少し突飛な内容になってしまいました。

 

 六眼と天元を結ぶ「因果」については今後明かされるでしょうから、それを待ちましょう。

 

 

 それではまた。

 

 よしなに。