けろの漫画雑談所

漫画の感想・考察・妄想の集積所です。主にジャンプ作品についてだらだらと語ります。

【感想】呪術廻戦アニメ2期主題歌・"青のすみか / キタニタツヤ"の歌詞が凄まじすぎた話【呪術廻戦】

Hatena

 ども、けろです……

 先日7月6日(木)から始まった呪術廻戦のアニメ第2期「懐玉・玉折」の第1話を観た精神的ダメージをいまだに引きずっています。

 ただでさえ原作の破壊力が強い「懐玉・玉折」なんですが、アニメ化による映像効果およびアニメにおけるオリジナル要素、通常アニオリ要素による追い打ちが本当に凄まじく、観終えた直後は本気で頭を抱えました。

 

 OPとEDは既にノンクレジット版が公式YouTubeチャンネルで公開されているので、まだ観ていない方はこんなブログは放っておいて早く観てくださいお願いします。

 

youtu.be

 

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 映像だけでも5時間は語れるくらいの情報量なんですが、今回はOPであるキタニタツヤの「青のすみか」の歌詞について、その意味するところを好き勝手に考察・妄想していこうと思います。

 

 キタニタツヤといえば、以前BLEACHの原画展で「Rapport」、アニメ「千年血戦篇」第1クールでは主題歌「スカー」でそのえげつない表現力を遺憾なく発揮し聞き手側の脳を破壊した過去を持つ信頼と実績のアーティストです。

 

kero-entame-channel.hatenablog.com

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 ティザー映像で先行公開されたサビの一部分の歌詞がヤバすぎると話題だったわけですが、その全貌の破壊力が想像の2億倍ヤバかったので、生暖かい目で楽しんでください。

 

 

「四つ並ぶ眼の前を遮るものは何もない」

 

 まずはAメロから。ちなみに目次の数からお分かりの通り、今回はマジで好き勝手に話しています。

 

どこまでも続くような青の季節は 四つ並ぶ眼の前を遮るものは何もない

 

 青春という限られた時間・年月のことを「青の季節」と表現する語彙力に脱帽ですし、「四つ並ぶ眼の前」という表現が最高です。

 この「四つ並ぶ眼」というのは、今回の過去編でメインにスポットが当たる五条・夏油二人のことを指していると思っています。最強の二人が横並びに歩いているからこそ、四つの眼が並んでいる、というわけです。

 「前を遮るものは何もない」は、個人的には二つの意味があると思っています。一つは青々とした夏の日々そのもののこと。青く晴れ渡り、どこまでも澄んだ空と景色が五条と夏油の前に広がり、どこまでも行けそうな全能感をもたらす夏の季節そのものを指し、物理的・視覚的な意味で「遮るものは何もない」と言っている。

 

 二つ目が、「最強である五条・夏油のゆく手を阻むものは何もない」という精神的な意味での「遮るものは何もない」

 当時高専の二年生だった五条と夏油。若く未熟な側面はあれど、『単独での国家転覆が可能』な特級術師に位置付けられた二人は文字通り「最強」であり、そんな二人が共に歩んだ「青春のひととき」においては、まさしく「遮るものは何もない」と言えるよね〜〜〜わかる〜〜〜〜〜という感じでした。

 

 ちなみにですが僕はこの歌詞全般を「現代の五条から見た過去の夏油に対する想い」だと解釈しています。他の解釈や考察があったら是非是非教えてください。

 

「きみという沈黙が聞こえなくなる」

 

アスファルト、蝉時雨を反射して
きみという沈黙が聞こえなくなる

 

 この曲の歌詞で二番目に好き〜〜〜!!!!!な部分。

 いやあの、これ本当に好きなんです。本当に。初めて歌詞見た時ちょっとドストライクすぎて「ヴッッッッ!!!!!」って変な声出ました。勘弁してほしい。

 

 この「きみという沈黙が聞こえなくなる」って本当に凄まじい歌詞、表現力じゃないですか?

 自分にとって大切な人がいなくなってしまった情景、普通なら「きみの声が聞こえなくなる」とか「きみの姿が見えなくなる」になるところをキタニタツヤの手にかかれば「きみという沈黙が聞こえなくなる」になるんですよ。どうだ参ったか。僕は完全に参った。困った……。

 

 五条から見た当時の夏油は、「隣にいるのが当たり前の存在」で、学内でも学外でも基本的に「ニコイチ」でした。勝手な解釈ですが、生まれながらに六眼と無下限呪術を持った"当代最強"の五条にとって、"対等な目線で喧嘩できる友達"というのはそれまでの人生でいなかったのではないかな、と思っています。

 

 そんな五条にとって、同じく「特級」である夏油は文字通り唯一無二の存在であり、五条の強さを知ってもなお「外で話そうか、悟」と喧嘩を吹っかけてくれる夏油は、真の意味で五条にとっての親友だったよね、と。

 だとするなら作中で描かれた高専二年〜三年にかけての時期以前、つまり高専入学後から五条と夏油はきっと一緒にいたはずで、「(おしゃべりの時間だけでなく)二人の間に流れる沈黙すら当たり前になる程五条と夏油は一緒に歩んでいた」と換言できます。そこから転じて「きみという沈黙が聞こえなくなる」、つまり短くも長い時間一緒にいた夏油がいつの間にかいなくなってしまった、となるわけです。

 

 マジで何食べてどんな風に世界を見ていたらこんなに美しくて残酷な表現が思いつくんですか???ちょっと本当に勘弁してほしい。

 

「僕と違うきみの匂いを知ってしまっても」

 

この日々が色褪せる
僕と違うきみの匂いを知ってしまっても

置き忘れてきた永遠の底に

 

 この曲の歌詞で一番好き〜〜〜〜!!!!な部分。

 いや本当に、キタニタツヤというアーティストは今まで自分が気づけなかった、日本語という言葉の美しさをこれでもかと突きつけてくる人物だなと実感しました。

 

 「僕と違うきみの匂い」ってまじでなんですか。なんなんですか本当に。

 「僕と違うきみの匂いを知ってしまった」ということは、裏を返せばそれまで「僕ときみ」、つまり五条と夏油は「同じ匂い」を纏っていた、ということになります。これだけ書くと何やらいやらしい意味合いに聞こえますが、先の通り五条と夏油は「ずっと一緒に歩んでいた仲」であり、どんな時もそばにいたということです。

 その「共に過ごした時間」「匂い」という言葉を用いて表現し、あまつさえ二人が別々に行動を取り、徐々にすれ違っていくようになってしまった高専三年の夏の日々のことを指して「僕と違うきみの匂い」と言うの、言語化能力がバグってるとかそういう次元じゃないですよ。

 

 夏油から自分と違う匂いがした、つまり五条が気付かない間に夏油は五条達とは違う道を歩み始め、誰も気付かないところでたった一人苦しみに耐えていた。この歌詞だけは何回聴いても胸が苦しくなります。

 

「今でも青が棲んでいる/澄んでいる」

 

置き忘れてきた永遠の底に
今でも青が棲んでいる
今でも青は澄んでいる
どんな祈りも言葉も
近づけるのに、届かなかった

 

 もう、語らなくてもいいですか?(お前が始めた物語だろ)

 ティザー映像で先行公開されていたサビ部分ですが、歌詞がお出しされてあらびっくり、「棲んでいる/澄んでいる」の同音異義語が使われているじゃないですか。

 

 「今でも青が棲んでいる」、つまり夏油と別れて十二年が経ってもなお、五条の心の奥底には夏油と過ごした青い季節が鮮明に宿っている

 「今でも青は澄んでいる」、つまりどれだけの年月が経っても、夏油がどれだけの罪を犯しその手を血に染めようと、あの日過ごした思い出だけは一点の曇りもなく透き通っている

 

 「近づけるのに、届かなかった」もいいですね。いや全部いいんですけど。

 五条は夏油と近い距離にいたはずなのに夏油の変化に気づけなかった。近くにいたはずなのにその苦しみの正体には届かなかった。

 そしてそれは、奇しくも五条の術式・無下限呪術と似ているんですよね。無限を現実に持ってくるその術式は、対象が五条に近づけば近づくほど遅くなり、結果永遠に届くことはない。他者を完全に拒絶する術式を持つ五条の手は夏油に届かなかった、という残酷すぎる対比があまりにも美しいな、と感じました(しみじみ)

 

「あの日から少しずつ きみと違う僕という呪いが肥っていく」

 

何もかも分かち合えたはずだった
あの日から少しずつ
きみと違う僕という呪いが肥っていく

 

 はぁ〜〜〜〜〜(ため息)

 「太っていく」「肥」の漢字をあてるセンスがもうおかしい。

 「肥える」には「(栄養を取り入れて)大きくなる」という意味があり、「太る」よりもややポジティブなイメージを抱く言葉です。

 個人的にここの解釈が一番迷いました。「呪いが太っていく」というだけなら、「夏油を失った五条の心に暗い影が落ちる」みたいな意味になります。であるなら、夏油がいなくなってからの日々で五条が感じた負の感情を表現している、と解釈できそうです。

 ただ、ここで使われているのは「太」ではなく「肥」なんですよ。

 表現力がカンストしてる言葉の魔術師・キタニタツヤが何も考えずに「肥」という漢字をあてるとは思えません。いやもちろん五条の負の感情を表現している可能性もありますが。

 

 「呪いが肥っていく」を好意的に解釈するなら、まず「呪い」という言葉を辞書的な意味から離して考える必要がありそうです。

 パッと思い浮かんだのは、「今の五条の状況」です。

 今の五条は高専の教師であり、その周りには多くの優秀な術師がいます。乙骨に秤、真希に伏黒に虎杖。多くの呪術師、つまり「呪い」に囲まれた五条は、独りで道を外れ離反していった過去の夏油とは対極的です。

 十二年前の夏油と今の五条はまるで異なる道を歩む人物であり、当然過去の五条本人から見ても今の五条の歩む道は異なって見えるでしょう。

 

 夏油という唯一無二の親友との別れが、五条という呪術師の歩む道を決定的に変えた。

 なんというか、そんな意味があるのではと勘繰ってしまいました。オタク特有の深読みというやつです。

 

「きみの笑顔の奥の憂いを 見落としたこと、悔やみ尽くして」

 

きみの笑顔の奥の憂いを
見落としたこと、悔やみ尽くして

 

 ここもさぁ〜〜〜〜〜「悔やんで」じゃなくて「悔やみ尽くして」なの何〜〜〜〜

 「悔やみ尽くした」というからには、五条は夏油の笑顔の奥に沈澱した黒く濁った澱に気づけなかったことをずっと悔やみ続け、そして自分の中で踏ん切りをつけることができた、言いたいのだと思います。

 

 だから0巻の最後、夏油の前に現れた五条は迷いのない表情をしていたし、かつての親友に「最期くらい呪いの言葉を吐けよ」と言わしめてしまうような澱みのない言葉を言えたのでしょう。「どうして」と後悔の言葉を吐くでもなく、「なんで」と親友の胸中を尋ねるでもなく、呪いにはならない言葉をまっすぐ言えるようになるまで、五条は「悔やみ尽くした」わけですよ………いやほんとすごい……解像度が高すぎる……

 

「無限に膨張する銀河の星の粒のように 指の隙間を零れた」

 

無限に膨張する銀河の星の粒のように
指の隙間を零れた

 

 ラストで畳み掛けてくるこの歌詞、良いですよね。もう何回目の「良い」か分かりませんけど。

 僕たちの住むこの宇宙は今も膨張を続けていて、星と星の間の距離は徐々に遠くなっていることがわかっています。

 これを五条の心情に照らし合わせて考えるなら、「夏油にかける言葉はいくつもいくつもあるし次から次へと浮かんでくるけど、そのほとんどが指の隙間からこぼれ落ちていく」という情景が浮かびます。

 

 だから「また会えるよね」という声にならない声も、夏油に届く前にこぼれ落ちて形を失ってしまう。

 こぼれ落ちていく無数の言葉の中で唯一残った言葉が、0巻のラストで夏油に向けた「呪いではない言葉」だったんだなと思うとしんどくなりますし、でもだからこそ夏油の心はきっと救われたんじゃないかなと思います。いやそう思わないとやってられません。夏油は五条に殺されることで救われたんです。そうに決まってます。

 

 その五条の心は誰が救うのかって?

 うるさい!!!!!!!!!!!!今そんな話はしてない!!!!!!!!

 

 

 というわけで好き放題語り散らかしました。

 個人的には五条単体/夏油単体が好きというより、「五条と夏油の関係性」が好きなんだなと今回再認識しました。いやもちろん五条も夏油も好きなんですけど。

 

 

 今回はOPだったので、気が向いたらEDの歌詞についても好き勝手に語ろうと思います。

 

 

 それではまた。

 

 よしなに。