けろの漫画雑談所

漫画の感想・考察・妄想の集積所です。主にジャンプ作品についてだらだらと語ります。

【考察】伏黒恵が生きている可能性を考える【呪術廻戦】

Hatena

 ども、けろです。

 最近の呪術廻戦、地獄をじっくりで煮込んだ結果鍋の底に溜まったどろりとした沈殿物をさらに煮詰めて固形にしたような地獄が続いていますが皆さんは無事でしょうか。特に伏黒推しの方々。

 

 伏黒推しでない僕ですらここ最近(特に最新212話)の展開はもうなんというか、真綿で首を締め上げられながら四肢を端からこそぎ落とされているようなしんどさがありました。ここまで来ると現代アートの領域だと思います。

 衝撃かつ唐突に特大爆弾を投げ込んで読者を殺す藤本タツキ先生と、ゆっくりじわじわ、ほんの少しの希望の光をちらつかせた後に背後から首元を引き裂く芥見下々先生のジャンプ二大曇らせ看板。

 

 今回はそんな芥見先生の掌の上で絶望のタップダンスを踊り続けている方々に向けて、なんとか希望の光を与えるべく、『伏黒恵は(まだ)死んでいないのではないか』という観点から考察をやっていこうと思います。

 

 それではやっていきましょう、呪術廻戦考察回です。

 

この左上に映っている手、実は直哉らしいです(大嘘)

1.前提:受肉による自我の消失と器の死亡

 

 まずはそもそも何故第212話で「伏黒は死んだ」と言われているのか、その前提について第212話の展開を振り返っていきます。

 

 第212話「膿む②」

 伏黒恵の姉・津美紀の正体が受肉タイプの術師であったという地獄がお出しされ狼狽する伏黒。そんな伏黒達を嘲笑うように飛び去った津美紀改め1000年前の術師・万。

 虎杖・来栖が彼女を追いかけたタイミグンで宿儺がかつて虎杖と結んだ"縛り"、「契闊」が発動。読んでいて久しぶりに「オイオイオイ」とでかい声を出してしまったのはここだけの話ですが、1分間肉体の主導権を握った宿儺が取った行動は、自らの指を千切って呪物化(?)させ、伏黒に呑み込ませることで伏黒の肉体に受肉する、というとんでもなさすぎる所業でした。

 

引用:芥見下々『呪術廻戦』集英社

 

 最後のこのコマの伏黒(宿儺)の悪辣とした嘲笑虎杖の絶望しきった顔の対比、ちょっとあまりにも芸術的すぎませんか。将来美術の授業で「曇らせを描きなさい」という課題が出たら模範解答として出されるくらいにはあまりに美しい様式美。

 

 虎杖の目元から宿儺を受肉した者特有の痕が消えているので、伏黒の中に宿儺が移動したのだ、というのがわかりますね。

 

 さて、宿儺が伏黒の中に移動した、つまり伏黒が宿儺を受肉した上記の展開を踏まえて「伏黒が死んだ」と言われているのは、「宿儺の毒に対して自我を保つことができるのは1000年間で虎杖悠仁だけ」という点、そして「受肉時に器の自我は消滅する」という点によるものです。

 

引用:芥見下々『呪術廻戦』集英社

 

 虎杖が1巻で宿儺の指を飲み込んでも自我を失わなかったのは、彼の肉体が羂索によって作られた(と考えられる)特別な「器」だったからであり、それ以外の場合は(天使と来栖華のように受肉した側が共生を望まぬ限り)器の自我は消滅します。作中では脹相や鹿紫雲、レジィといった過去の術師・受肉体が多く登場していますが、彼らはいずれも器となる人間に受肉し、器の自我を(故意にせよ無識にせよ)殺しています。

 

 そしてそんな状況に追い打ちをかける設定が、第199話で明かされています。

 伏黒達に「受肉した泳者の一掃」という目的を語った天使は、「天使の術式で受肉した泳者を受肉前の状態に戻せるか?」という伏黒の問いに対して「無理とは断言できないが九割九分死ぬ」と返しています。

 

 何もそこまで念入りに読者の心を殺さなくても……と思わなくもないですが、これまで開示された情報と、ファンブック等で明らかになっている設定を踏まえると、伏黒がまだ生きている可能性が(1%くらいは)あるかもしれません。

 

2.伏黒の死が「契闊」の"縛り"に反する

 

 まず一つ目。

 そもそも宿儺が伏黒の肉体を乗っ取るきっかけとして使われた「契闊」ですが、その内容を振り返りましょう。

 

①宿儺が「契闊」と唱えると発動する

②発動後1分間、肉体の主導権を宿儺が握る(そして恐らくこの間虎杖は主導権を取り返せない)

③その1分間、宿儺は誰かを傷つけたり殺すことはできない

④上記の「誰か」に虎杖本人は含まれない

⑤虎杖はこの"縛り"を結んだことを忘れる

 

 最後については明示的に結ばれた条件ではありませんが、「誰も」という対象が言葉通りの意味ではなく、"縛り"を結ぶ当事者が内在的に認識している者が対象になっている、という点で特徴的だったので付け加えています。

 

 このうちの③、「1分間、宿儺は誰かを傷つけたり殺すことはできない」という条件の「殺す」という部分について、仮に伏黒の自我が宿儺受肉によって死んだ場合、それは「宿儺によって伏黒が殺された」と表現して差し支えないと思います。

 これが「"死=肉体が無事であること"であり、伏黒の肉体が無事であるうちは"縛り"に反していない」だとするといよいよお手上げですが、自我の消失はその人物の「人としての死」だといえるので、この仮定を正とした場合、宿儺は約1分間、伏黒の自我を完全に殺し切ることはできません。

 

 そうすると現在の伏黒の自我は、自身の生得領域の中でやがて訪れる死を待っている状態といえます。

 「契闊」による不殺の"縛り"は1分間。伏黒の肉体を乗っ取るまでの時間を差し引くと、彼の意識が残っていられる時間はあと十数秒といったところでしょうか。

 

3.毒に耐性があるほど受肉時に容姿が変化しない

 

 次に逆の視点から、「そもそも宿儺は伏黒の肉体を完全に乗っ取ることはできないのではないか」という可能性を考えてみます。

 呪物が受肉する際、基本的に呪物の方に引っ張られる形で肉体の容姿が変化します。

 この点について、ファンブックで作者から言及されています。

 

Q.九相図の見た目は、受肉先の容姿に左右されるのでしょうか。

A.器の呪物に対する耐性があればあるほど容姿は変化しません。だもんで九相図には器の面影はほぼありません。本人達もずっと胎児だったので「俺らったこんな感じなんだ〜」ってな具合。

引用:芥見下々『呪術廻戦公式ファンブック』p.87

 

 そして伏黒に受肉した宿儺の容姿は先の通り、伏黒の面影をほぼ完全なまま残しています。

 つまり、ファンブックによって語られた設定と今回の描写のどちらも正であるのであれば、伏黒の肉体は(虎杖ほど完全なものではないにせよ)呪物の毒に一定の耐性があるということになります。

 これはもちろん肉体面の強度の話ではありますが、虎杖は同じく宿儺の毒に耐性を持ち、自我を保つことに成功しました。宿儺の器足り得るのは虎杖だけですが、伏黒の肉体に多少の耐性があるのであれば、その自我が完全に死ぬまでにわずかながらの猶予がある可能性も、ゼロとはいえません。

 容姿を変化させることが受肉側の意思によって決定できるとしたらこの仮説も崩れてしまいます(現に伏黒の義姉である津美紀も、万という過去の術師が受肉した際は容姿がほとんど変化していませんでした)が、一縷の望みくらいにはなるのではないでしょうか。

 

4.父・甚爾について知らない伏黒

 

 これはメタ的な目線での考察になりますが、伏黒は自身の父・伏黒甚爾について何も知りません。なんという名前でどのような生き方をし、そしてどう死んだのか(伏黒自身は父親が「どこかでのうのうと生きている」と思っています)、伏黒本人は何一つ知らないというのが現状です。

 そしてその父親について、作者の芥見下々先生は「(父・甚爾を殺した)五条の口から直接語られる」と言及しています。

 

 この設定がまだ生きているのなら、メタ的に伏黒は自身の出生・父親のことを知るまでは死なないともいえます。

(もちろん、伏黒の五条の対話の場が現世であり、生得領域といった精神世界でないことが前提ですが……)

 

 現状伏黒の生存は絶望的な状況ではありますが、上記の点を踏まえてみると、少なくとも伏黒の自我が完全に沈んでしまった、とは言い切れないかもしれません。まぁいずれ死んでしまうかもしれませんが……

 

 

 そんなわけで、伏黒生存説について一縷の望みをかき集めてみました。

 今後の物語で伏黒がどうなっていくのか、心をざわつかせながら待つとしましょう。

 

 

 それではまた。

 

 よしなに。