けろの漫画雑談所

漫画の感想・考察・妄想の集積所です。主にジャンプ作品についてだらだらと語ります。

【感想】ウタを追い詰めた民衆の「弱さ」【ONE PIECE FILM RED】

Hatena

 ども、けろです。

 僕はちょろい人間なので最近はAdoの「新時代」を無限に再生しています。疾走感の中に込められたウタという少女の悲しさが見え隠れする曲調が最高で、聴くたびに映画のシーンがリフレインします。

 

 前回の記事で既に6000字も感想を書いたのにコイツまだ何か書くのかよという感じですが、劇中のシーンを思い起こしていた時にふと記事にしたい話が出てきてしまったのでまた好き放題に書きます。

 

 というわけでやっていきましょう、映画『ONE PIECE FILM RED』感想回です。

 ※例の如くあらゆるネタバレに配慮しない記事です。また、今回の記事はパッと読んだだけだと作品に対して否定的と捉えられる側面があるかもしれませんが、僕は本作を大大大大絶賛している、ということを先にお伝えしておきます。

 

 

1.冒頭でクローズアップされた「声なき人々」の叫び

 

 本作の冒頭はルフィやシャンクス達といった所謂「ネームドキャラ」ではなく、大海賊時代を生きる「名も無き人々」の痛烈な叫びから始まっています。

 海賊に食べ物を奪われた子供達、家族を殺された者達、皆一様に「海賊」という存在を恨む、「大海賊時代の被害者」です。

 

 僕はこの描写が結構新鮮というか、いい意味で今までのONE PIECEにはない側面だなと思っていました。ルフィや他の海賊、海軍達との戦いがメインで描かれる本編ではあまり触れられることのない、名も無き人々。彼らには彼らの人生があって、それが「海賊」達に奪われるのはまさしく悪夢以外の何物でもありません。ナレーションも語っていましたが「虐げられる時代」という側面を描いています(とはいえ東の海ではアーロンが暴虐の限りを尽くしていましたし、ワノ国でもカイドウに虐げられる市民達が描かれてはいました)。

 

 僕はこの「世界の二面性」がすごく好きなんですよ。主人公視点では決して描かれることのない、別視点から見た世界の話

 

 

ONE PIECE屈指の名言だと思ってる

 それはちょうどインペルダウンに兄・エースを助けにきたルフィ達の前に立ちはだかったハンニャバル副署長の台詞に表れているんですが、この台詞ってある種の真理だと思うんですよね。

 インペルダウンには世間で大罪を犯した凶悪犯達が収監されていて、それを「兄を助ける」という名目とはいえ大量に脱獄させてしまったのは市民目線からしてみれば「恐怖」でしかないし、それを真っ向からきちんと描いたのは流石だなと思います。

 

 話を映画に戻しますが、本作はそうした市民の存在、人々の声というのが非常に大きな役割を担っています。

 暴力に満ちた世界を変える力を持たない人たちが願う、「平和で自由な世界」

 そしてそんな土気色の世界を「歌」で瞬く間に塗り替えてしまったウタ。

 

 希望を持ち得なかった人々にとって、ウタの出現は単なるエンタメの枠を飛び越え、「救い」として映ってしまったわけです。

 

2.「救世主」として崇められたウタ

 

 電伝虫を拾った当初のウタは、ただただ自分の声と歌を外の世界に発信するために歌っていました。長らくエレジアで(友達がいないという意味で)一人ぼっちだったウタにとっては幸せでしかなく、それを見ていた育ての親・ゴードンも「まるで解き放たれたように」と言及していました。

 

 ただ、作中でゴードンが語ったように、民衆はそんなウタをただの「歌い手」としてではなく、「希望の象徴」「救世主」として崇めるようになっていきました。

 確かに希望のない鬱屈した日々を生きていた人たちにとってウタの出現はまさに青天の霹靂だったわけですが、これよくよく考えるとすごく残酷なんですよね。

 

 だってウタは作中では(新世界編で19歳のルフィの2つ年上なので)まだ21歳ですよ。幼いというには少し成長しているけれど、世界から見ればまだ生まれて20年弱しか経っていない女の子です。しかも彼女は2年前、つまり19歳になるまでの間のほとんどをエレジアで過ごし、その間友達と呼べる存在はいませんでした。

 ウタは歌唱力だけを見れば確かに常人離れしていますが、それ以外は声なき市民となんら変わらない、一人の女の子なんですよ。

 

 そんなウタに自分達の境遇の辛さを語り、「あなたしかいないの」と救世主としての重荷を背負わせる民衆の「弱さ」が、ウタを徐々に狂わせてしまったんじゃないかな、と思ってしまうわけです。

 ただ、一応言っておきますがこれは善悪の話ではありません。ウタを祭り上げた彼らを「悪」と一方的に断ずることができないのは、大海賊時代の歪さが物語っています。

 彼らは、ただ「そうする」以外に道がなかったんです。ただ耐えているだけでは壊れそうになる心をなんとか繋ぎ止めるために、目の前に現れた女の子に「救い」を求める以外に、彼らが選べる選択肢はなかった。そういう残酷な「事実」の話です。

 

3. 身勝手な理想を口にする人々

 

 ウタに対して「こんな生活から抜け出したい」「ウタの歌だけ聴いていられる世界はないのかな」と救いを求めていた人々ですが、そんな彼らの願いを汲み取ってウタワールドに幽閉したウタに対して彼らが向けた言葉は、実に身勝手なものでした。

 

 「俺帰りてぇよ」「頼んでねぇって」「このままずっとは困るなぁ」

 

 いやお前らがウタを持ち上げて救済を求めたから、袋小路の苦しみの中でウタはその選択をしたんだぞ??確かにウタの選んだ道は間違っていたのかもしれないけれど、ウタがあんなことをしてしまったのは、自分達の「弱さ」を棚に上げてウタに救いを求めたからじゃないのか???

 

 何度も言いますが、それを「悪」と断じたいわけではないです。ウタを追い詰めたのは「大海賊時代」という世界の形そのものであって、民衆一人一人はその犠牲者に他ならないからです。

 

 ただそれでも、自分達の行動や言動がウタを追い詰めたかもしれないという事実を抜きにして、多くの人がウタの歌声を聴くエンドロールは観れない……と思ったわけです。なーーーーーにが「Princess of music forever」じゃ!!!!

 

 

4.二面性に蓋をしたウタ

 

 その結果としてウタは「海賊嫌い」を演じざるを得なくなりました。海賊に虐げられてきた人々を代表するからには、当のウタ本人が海賊を嫌いでなければ説得力がないからです。

 でもウタは「シャンクスの娘」だし、何よりシャンクスが自分を庇って罪を背負い込んだことを知っていました。

 奪われた人達が救いを求めている自分自身が、かつて多くの命を奪ってしまったという事実と、赤髪海賊団を家族だと想っている事実

 相反する2つの事実の狭間で苦しみ続けたウタは、その苦しみに蓋をして、民衆の前では笑顔でい続けました。ルフィに対しても最初は「海賊なんてやめなよ」と笑顔で語りかけ、どうにもならなくなって初めて素の涙を見せるほどに追い詰められていたわけです。

 

 その小さな肩にのし掛かる、救世主としての「責務」。それが彼女を「赤髪海賊団の音楽家」ではなく「海賊嫌いのウタ」にしてしまったわけで、誰を責めることもできないその残酷さが余計にしんどくなります。

 せめてもの救いは、「海賊嫌いのウタ」としての仮面が引き起こしてしまった災禍を、「赤髪海賊団の音楽家のウタ」が鎮めたことでしょうか。

 ウタは確かに(作中の描写を見る限り)死んでしまったわけですが、その心は間違いなく救われたと想っています。だってウタ自身も言ってたじゃないですか。「死ぬってなに?大事なのは体よりも心じゃないの?」って。

 

 本心を隠していたウタが、最後にシャンクスに「会いたかった」と言えた時、その心は重圧から解放されたんですよ。いやそう思わせてください。僕の心が救われないので。

 

 ちなみに僕がウタの台詞で一番好きなのはやっぱりルフィに麦わら帽子を返す時の「これがもっと似合う男になるんだぞ」です。ダバダバ泣きました。というか後半はずっと涙腺ガバガバでした。

 

 

 というわけで今回はなんとか3000字強で収めることができました。

 

 それではまた。

 

 よしなに。