けろの漫画雑談所

漫画の感想・考察・妄想の集積所です。主にジャンプ作品についてだらだらと語ります。

【感想】「親子」と「自由」を巡る物語【ONE PIECE FILM RED】

Hatena

 ども、けろです。

 お久しぶりです。7月末から8月の上旬にかけて例の流行病に感染し臥せっておりました。

 

 そんなこんなで8月、夏本番ですね。好きなアイスは明治エッセルスーパーカップ、好きなガリガリくんは梨味、好きな夏曲はゆずの夏色、好きなONE PIECE映画は『ONE PIECE FILM RED』です。

 

 というわけで先日公開になったONE PIECE映画最新作、『ONE PIECE FILM RED』を2回鑑賞してきました。本当は公開日に駆け込みたかったんですが流行病の自宅療養期間が公開日に被ってしまい、血の涙を流していました。

 実は僕、ONE PIECEはかなりのエンジョイ勢というか、ガッツリ読み込んでいない勢です。漫画をきちんと読み込んだのは空島編前後、アニメはシャボンディ諸島までリアルタイムで追いかけ、そこからは割とつまみ食いでした。

 なので「このタイミングでシャンクスが登場する映画を観ても大丈夫だろうか…」という一抹の不安がありました。

 

 というわけでそんなONE PIECEエンジョイ勢が『ONE PIECE FILM RED』を観た感想を、あらゆるネタバレに配慮しない形でひたすら書き綴っていきたいと思います。

 

 ※念押ししますが、この記事は映画『ONE PIECE FILM RED』のネタバレを大量に含んでおります。これから映画を観る予定の方はここでブラウザバック推奨です。

 

 それではやっていきましょう、映画『ONE PIECE FILM RED』感想回です。

 

 

0.前提:映画の総評と筆者の立ち位置

 

 まず、そもそも僕がこの映画をどのように評価したのかを書いておきます。巷では賛否両論が色々と飛び交っている本映画を僕がどのように捉え、評価しているのかを先に書いておくことで読み手側の無用なノイズを減らせると思っているからです。

 

 えー、本作『ONE PIECE FILM RED』ですが、僕的には

 100点満点で10000000点です。

 

 要するに大絶賛、スタンディングオベーション、拍手喝采の傑作だと思っています。

 もちろん粗を探せと言われたら探せますし、全編を通して無駄が一切ないかと言われればそんなことはありませんが、それにしても「まぁ強いて挙げるなら……」程度の重箱の隅だと思っています。

 

 恐らくこの時点で賛否両論の「否」側に寄っている人の多くが読むのをやめると思いますので、ここから先は「映画を観てダバダバ泣いてしまった大絶賛勢」が好き勝手に書いていきます(ドンッ)。

 

1.描かれた「親子」の関係性

 

 本作において重要なポジションを担っているのは、もちろんヒロインのウタです。

 彼女は「シャンクスの娘」であり「ルフィの幼馴染」という強すぎる設定を持つキャラクターですが、本作は「シャンクスとウタの関係性」を中心にストーリーが展開します。

 かつては赤髪海賊団の音楽家として共に旅をしていたウタは、立ち寄った音楽の国・エレジアを自身の能力で滅ぼしてしまうわけですが、シャンクスはそのことを伏せ、「赤髪海賊団がやった」とその罪を背負い込みます。ちなみに2回目の鑑賞時に一番泣いたのはエレジアを去るシャンクス達が泣きながら酒を酌み交わすシーンです。

 この決断そのものの是非はともかくとして、このシャンクスの決断とウタとの訣別により2人の関係性は拗れ、結果的にウタは「争いも暴力もない夢の世界に人々を導く」という歪んだ計画に走ることになるわけです。

 

 この2人の関係性がとにかく尊いんですよ……いや本当に……

 ウタはシャンクスに対して「会いたくなかった。でも会いたかった」と一見すると矛盾する思いを終盤で吐露するわけですが、これはウタの胸中を表しています。

 ウタは作中で「海賊嫌いのウタ」として民衆から持ち上げられ、救世主としての顔を持っています。表向きは「海賊嫌い」として知られ(なおかつシャンクスを悪者にすることで自分の精神をギリギリのところで繋ぎ止めていて)、大海賊時代を終わらせようとしていたウタが、それでも「父親」であるシャンクスに「会いたかった」って、ウタが心の底で何を想っていたのかが如実に表れているじゃないですか。

 

 それに対するシャンクスも、ウタが実行しようとしていた計画について一度として「お前は間違ってる」と否定することなく、ただただ真っ直ぐ「お前は俺の娘だ」って姿勢を貫き、一人の「親」としてウタと向き合い、彼女を守ろうとするの、美しすぎるんですよ。(シャンクスが覇気で黄猿を脅すシーンが本当に最高でした)

 

 「親子」の描写はそれだけじゃなく、例えば「ヤソップとウソップ」もそうです。

 赤髪海賊団の狙撃手であるヤソップと麦わら海賊団の狙撃手であるウソップは実の親子ながら作中ではいまだに再会しておらず、それはこの映画でも同様でした。

 現実世界にいるヤソップとウタワールドにいるウソップが、見聞色の覇気を通じて互いの存在を認識し、司令塔として指示を出していくシーンが最高でした。

 このシーンの個人的激アツポイントは、「最初はヤソップに追い縋っていたウソップが、徐々にヤソップに追いつき、最後は同時に攻撃の指示を出している」ところです。2人の息が揃っていく演出、息子が父親の背中に追いつく描写、良すぎ。

 

 しかも、そんなヤソップとウソップの共闘という「離れ離れでも繋がっている親子の絆」を描いた後に「ルフィとシャンクスの共闘」を描くの、脚本家は天才だなと思いました。

 ルフィにとってシャンクスは「命の恩人」であり、「麦わら帽子を託してくれた憧れの存在」であり、同時に「少し離れたところにいる親代わりの人」だったわけで、そんな2人が息ぴったりの共闘を披露するって、もう"そういうこと"じゃないですか。このシーンは作画の気合いの入り方もとんでもなくて、ルフィとシャンクスの顔が交互に描かれ、最後に交差するように2人が描かれるのは鳥肌モノでした。

 

 他にもウタの育ての親であるゴードンがウタと真っ直ぐに向き合い、自分の犯した過ちを謝罪するシーンもそうですし、この映画は「親子の関係性」にかなり重きを置いた作品だなと感じました。

 そこで大事になるのは「血の繋がり」という表面的なものではなく、「互いを思いやる感情の機微」なんですよ。現実世界のヤソップ、シャンクスとウタワールドのウソップ、ルフィ。かつての誓いを守ってウタを育てたゴードンと、彼から離れて凶行に走ってしまったウタ。少しだけ離れたところにいる両者が、それでも絆で繋がっていることを示唆する描写の数々が、涙腺を直撃しました。

 

2.ウタの語る「自由」の歪さ

 

 ヒロイン・ウタが思い描く「新時代」とは、全ての人々が彼女の「ウタワールド」の中で楽しく平和に暮らすという、ユートピアに見せかけたディストピアでした。

 暴力や差別、貧困が渦巻く現実から逃れ、ずっと楽しいことだけをして生きていける夢の世界というのは、ともすれば非常に蠱惑的であり、事実序盤は多くの人々が魅了されていました。

 でもそれは「ウタが理想だと思う世界を他の人にも押し付ける」という歪さを孕んでいて、そこに「人々の自由」はありません。モブの1人が口にした「学校好きだし…」という台詞がまさに的を射ていて、ウタが作り上げようとしていた「新時代」には確かに海賊も海軍も世界政府もなく、そこには暴力も差別も階級も存在しません。でも同時に学校や仕事といった、生きる活力の源になっているものもなく、存在しているのは「娯楽」だけ。

 

 大海賊時代に苦しむ声なき人々のために立ち上がったウタが描く「新時代」が、大海賊時代とは違った意味で「不自由」な世界だったというのは途轍もない皮肉であり、「幸福も不幸も、清濁併せ呑む世界で懸命に生きること」の意味を改めて突きつけられた気がしました。

 

 ちなみに映画の終わりにルフィが「海賊王に、俺はなる!」とお決まりの台詞を口にしたことに対して「ルフィにこれ言わせとけばいいやろってのが透けて見えた」みたいな斜に構えた批評を見かけたんですが、「お前本当に2時間座って映画観たんか??」と問い詰めたくなりました。

 ルフィにとっての「海賊王」「世界で一番自由な奴」のことで、それは「不自由」の中で苦しんでいたウタを救えなかったルフィなりの覚悟と決意の表れなわけですよ。だからあの台詞は「いつものルフィの台詞」でありながら、この映画に限っては全く違った意味を持つわけで、あの台詞の意味を理解できんのにブツブツ文句言ってんじゃねぇと勝手にプリプリしてました。

 

3.引くに引けなくなってしまったウタの苦しみ

 

 ウタは知っていました。かつてエレジアを滅ぼしたのがシャンクス達赤髪海賊団ではなく、自身のウタウタの実の能力であり、シャンクスはそれを庇ってくれたことを。

 でも、それを知った時にはウタは歌手としての活動を始めて1年が経っていて、多くのファンがいました。ファンの多くは海賊による略奪や暴力によって苦しめられ、ウタを「救世主」として崇め、そんな声に応えるようにウタは「導き手」を担いました。

 

 この時点でウタは苦しみの袋小路にいるんですよね。

 表の顔は民を導き救いの手を差し伸べる「海賊嫌い」でありながら、その仮面の下では自分の犯した罪を知っている。仮面を脱げば自分を頼っている人々を傷つけてしまうし、仮面をつけたままでは自分を守ってくれたシャンクスに対して憎悪を抱き続けなければいけない。

 彼女自身「もう引くに引けない」と口にしていましたが、まさにその通りなんですよ。多分ウタ本人も自分のやろうとしていることの矛盾に気づいているし、自分の感情のおかしさを自覚しているはずで、それを隠しながら笑顔でいることがどれほど苦しいか……

 

4.ウタを殴らなかったルフィの涙

 

 ルフィ、ウタを殴らなかったんですよ。作中を通して一度も。殴ったのはあくまで彼女が呼び出したトット・ムジカであり、ウタに対してはその拳を一度も向けてません。

 

 そのことをウタに訊ねられたルフィは「俺のパンチはピストルより強力だ」と誤魔化していましたが、個人的にはちゃんと理由があると思っています。

 というのも、ONE PIECE本編におけるルフィの行動原理は基本的に「誰かを助ける」なんですよ。ナミを助けるためにアーロンをぶっ飛ばしたし、ロビンを助けるためにエニエスロビーに乗り込んだし、ケイミーを助けるために天竜人をぶん殴ったし。

 

 そこにルフィ自身の「快・不快」は関係ないし、「正義感」のような高尚な理念があるわけではない。目の前で苦しんでいる人がいたらそのために立ち上がるし、そのためだったら相手が誰であっても真っ直ぐに喧嘩を売る。ルフィはそんな真っ直ぐなキャラクターだと(僕は)解釈しています。要は「苦しんでる人を助けること」が目的であり、「誰かをぶっ飛ばすこと」はあくまでそのための手段でしかないわけです。

 

 じゃあウタの場合は?というと、ウタは確かに苦しんでいました。自分がやろうとしていることが正しくないと分かっていながらももう引けないという苦しみを抱えながら死地に向かっていくウタは、作中で登場した多くのキャラクター達のように苦しんでいました。

 でも、その「苦しみ」は別にウタ本人をぶん殴っても解決するものじゃないんですよ。ウタを殴っても事態は解決しないし、意味がない。それがウタにとっての「救済」を意味しないからこそ、ルフィはウタを殴らなかったし「お前と戦う理由がない」と口にしたんじゃないでしょうか。

 

 で、ルフィとウタは最期に会話をします。ちなみにこの時の僕は涙で溺死寸前でした。

 この時にウタはルフィに麦わら帽子を返すんですが、この時ルフィの目元が一瞬光るんですよ。これ、多分ですけど涙なんですよ。ウタとの会話のシーンでルフィの目元は徹底して隠されていて、麦わら帽子を被るタイミングで一瞬だけ光る。

 1回目を観た時は展開の怒涛さを理解することに脳のリソースの大半を使っていたので気づきませんでしたが、「助けたかったウタを救えなかったルフィ」が涙を流すの、マジでキツかったです。本当に。しかも相手は幼馴染で、かつて「新時代」を作ると誓った相手ですよ?マジで無理です。

 

5.最強&満点の後付け設定としてのヒロイン

 

 本作のヒロインであるウタ、「お姉さんで幼馴染」という設定の時点であまりに最強で勝てないんですが、その設定が本編への後付けとしても強すぎるんですよ。

 ルフィは冒険を始めた当初、しきりに「音楽家」を仲間に加えたがっていました。まだコックも操舵手も医者もいない最序盤で音楽家を求めるのはどう考えても「無鉄砲」だし、ルフィの純真さと無鉄砲さを表現したギャグシーンだったわけですが、ここに「幼少期を赤髪海賊団の音楽家であるウタと過ごした」という設定が加わると、意味が180度ひっくり返るんですよ。

 幼少期にウタと過ごしたことが青年になったルフィに影響してるの、気づいた時に泡吹いてぶっ倒れるかと思いました。

 

 いや、これは多分99%後付けなんですよ。物語の最序盤でウタというキャラクターが構想されているとは思えないし、いるなら103巻までの何処かで仄めかされているはずですし。だからウタというキャラクターは後付けヒロインだし、今回の映画にあたって新しく作られたキャラクターであると思って支障はないはずです。

 でも、ウタというキャラクターを出したことでこれまでの物語で何気なくスルーされていた台詞に別の意味が加わるの、ちょっと反則じゃないですか???

 

 そういう意味でウタは最強で満点の後付けヒロインなんですよ。ウタさんは最強で最高なんだよ。分かったか。

 

6.Adoが彩るウタのライブシーン

 

 世間では賛否両論あるみたいなんですが、個人的にはめちゃくちゃ良かったです。IMAXとDolby環境で観たせいもあるかもしれませんが、音圧と映像の迫力がとにかく良くて、歌姫としてのウタがガッツリ描かれている感があって最高でした。

 

 個人的に一番好きなのは「新時代」ですが、物語の中で徐々に壊れていくウタの二面性を感じられる「ウタカタララバイ」もいいですし、シャウトがクソかっこいい「逆光」も最高です。要するに全曲最高です。

 Adoの起用やライブシーンの長さについてああだこうだ言われてるのを目にした時は「まじ????」となりましたし、「いや事前にPVでも描かれてるやんけ……曲数もわかってるし……」って思ったんですが、まぁここは個人の解釈によりますね。個人的にはあんまり共感できませんが……

 

 

 と、この時点で既に6000文字近くになっていて自分で引いてます。

 ヒロアカ映画を観た時もそうでしたが、とにかく自分の感情と思考を整理したくて書き殴っている側面がありますので、支離滅裂な内容でも許してください……

 

 映画『ONE PIECE FILM RED』、多分もう一回くらい観に行くと思いますし、まだ書きたいことも何個かあるので気が向いたら記事にしようかなと思います。

 

 

 それではまた。

 よしなに。