ども、けろです。
呪術廻戦最新153話、もう何回読み返したかわかりません。ジャンプ紙面に呪術廻戦が載っていることが嬉しすぎて、電子版ですけど穴が開くレベルで凝視して全身で摂取しています。
ただ、今週は展開が平穏(≒死人が出なかった)だったので良かったですが、これから先死人が出た時に果たして僕のメンタルは保ってくれるのか。一抹どころじゃない不安がガンガンに押し寄せていますが、とりあえず死人が出たらその時また考えましょう(呪術以外では使うことのない言い回し)。
というわけで今回は、タイトルにもあるように呪術廻戦におけるメインキャラクター、伏黒恵の術式にスポットを当てた考察記事となります。
昨日に引き続きYoutubeと同時投稿ですので、週末のお供にぜひ。ちなみに今回は動画の編集を終えた後にこの記事を書いているので、こちらの方が情報が整理されている可能性があります。
それではやっていきましょう。
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1.仮説の提示
まずは本考察の前提となる仮説を提示し、考察をゆるっと進めていこうと思います。
仮説:伏黒恵の術式・十種影法術は「式神術」ではなく「影を操る術式」である
例に漏れずトンデモの域を出ない仮説ですが、これまでの描写を見ながら一つずつ紐解いていくと、可能性としてはあり得るのではないか、と思ったのでやっていきます。
2.十種影法術の汎用性の高さ
十種影法術の最たる特徴に、その汎用性の高さが挙げられます。
他の術式と比べた際にもそれは如実に現れていて、本来であれば一つの術式ができることが基本的に一つであるのに対し、十種影法術は現状判明しているだけでも複数の応用性を持っています。
2-1.他人の影への侵入
まずはジャンプ35号掲載の第153話にて明らかになった、「他人の影への侵入」です。
これまでにも伏黒が自分の影を利用する描写は何度か登場していますが、それが「他人」にも適用可能であることは今回初めて明らかになりました。
しかも潜入されている相手は一切気づいていないので、彼の術式は純粋に「影のみ」に干渉しているのだ、ということがわかります。
2-2.自身の影への呪具の格納
作中で何度も登場しているこの使い方、初出は単行本2巻での2年ズとの訓練中でした。
少年院での宿儺の「オマエあの時、なぜ逃げた」という言葉を反芻し、今までは「術式上、両手は開けておきたい」という理由で呪具の使用を渋っていた伏黒が、自分の影に指を入れることができると気づいたシーンです。
それが実戦で生きたのが姉妹校交流会編での花御戦ですね。自分の影の中から特級呪具・游雲を取り出したりといった手法で戦っていました。
2-3.自身の影化
また、八十八橋編での特級呪霊との戦闘で領域展開に目覚めた伏黒は、その中での戦いで「広げろ!術式の解釈を!」という独白と共に自分自身の姿を影化させて特級呪霊の攻撃を回避していました。
これもまた十種影法術の解釈の一つだと思うんですが、まじで便利すぎませんか?
影に由来することなら基本的になんでもできるこの感じ、本当に万能だし便利だなぁと思っています。
こういった描写からわかるように、十種影法術というのは「式神を呼び出して戦わせる」という使い方以外にも様々な転用の仕方がある、ということがわかります。
3.これまでの描写のおさらい
それでは十種影法術から少し離れて、「式神術」全般に関するこれまでの描写を振り返ってみましょう。
3-1.おじいちゃん式神使い
単行本8巻で描かれた懐玉編、その中で登場したおじいちゃんの式神使いの一幕を振り返ってみましょう。
このおじいちゃん自体は夏油にボコられて速攻で退場したので深く覚えていない方も多いと思いますが、大事なのはそこではなく、「おじいちゃんの式神の召喚方法」です。
彼は手にした「札」から式神を召喚させています。これは見た目通り、「札」を式神召喚の「媒体」にしているということですね。
また、少年院で伏黒と対峙した宿儺は、伏黒に対して「オマエの術式、影を媒体にしているのか」と評しているので、「式神術」にはその召喚に際して「媒体(≒調伏した式神を封じておく何かしらのもの)」が必須、と考えていいでしょう。
※作中で登場したもう一人の式神使い、吉野順平に関しては何を媒体にしているのか判明していません。
3-2.五条の発言
また、単行本2巻での五条のこの発言も挙げておきます。
これは何気ない発言であり、生得術式を持たない虎杖に対して「術式は才能だよ」と諭している場面なのですが、ここで五条は「式神術」と「生得術式」を明確に線引きしています。
ここで分かることは、「基本的な式神術と生得術式は別物である」ということです。
前述のおじいちゃんの式神術も、明言はされていませんが生得術式ではない可能性がありますし、生得術式を刻まれていない者であっても式神を使役することはある程度可能、ということですね。
4.十種影法術の本質
これまでの情報を整理します。
・式神の召喚にはその式神を封じている「媒体」が必須
・基本的に式神術と生得術式は別物
・十種影法術は式神術以外にも応用が可能。
さて、これらの情報を照らし合わせると浮かび上がってくるのが
生得術式である十種影法術の本質は、式神術とは限らない。
というものです。
つまり、「式神の調伏・召喚の過程で、その媒体が"影"である本質的な必要性はなく」、「十種影法術は式神術以外にも幅広い汎用性を持つ」ことから、「そもそも十種影法術は式神を操る術式ではない」のではないか、ということです。
おいおいどういうことだよ話がややこしいよ、と思われる方のために簡易的な画像を用意しました。
これは本考察の仮説を端的に表した画像で、その「式神術」と「その他の応用」の包含関係を再構築して考えたものです。
これまでは「式神を操る術式」の中に「別解釈の用法」があるのだと思っていましたが、ここではそれを逆転させて考えます。
つまり、「本質的には影を自在に操る術式」の中に「十種の式神術」がある、という考えです。
こう考えると、十種影法術に宿っている十種の獣が「式神」と呼ばれ、その調伏・召喚の媒体に「影」が用いられていることにも説明がつきます。
じゃあ十種の式神はどこから来たのか、という問いが新たに発生しますが、これに関しては「術式は世代を経るごとに混ざったり変容するもの」と考えれば腑に落ちます。
「十種の式神使い」と「影を操る術式使い」の間に生まれた子供が、「十種影法術使い」の開祖だと考えれば、この疑問点も多少解決されます。
この場合、「肉体には生得的に十種の式神が宿っているが、自身の影に封じられていない」という特異な状況が生まれますので、十種影法術使いが生後玉犬を従えてその他の式神を調伏していくという流れにも説明がつきます。
何やら話がだいぶややこしく、難しくなってきました。僕自身これを書いていて結構頭がこんがらがりかけたので、これに関しては後日きちんとまとめられたらまた別記事で書こうと思います。
ややトンデモな考察ですが、こういう考え方もあるんだと思って楽しんでください。
それではまた次の記事で。
よしなに。