けろの漫画雑談所

漫画の感想・考察・妄想の集積所です。主にジャンプ作品についてだらだらと語ります。

【考察】九十九の発言・語句から再考する天元の正体【呪術廻戦】

Hatena
 ども、けろです。
 考察記事の比率がどう考えても呪術廻戦に寄りすぎていますが、まぁ今ガチで追いかけて細部まで読んでいる漫画がそれくらいしかないので仕方ありませんね。
 本当はいろんな漫画の考察記事を投げていきたいんですが、社会人やりながらとなると時間と労力がいくらあっても足りない……不労所得ほしいですね。
 
 それではやっていきましょう、すっかりお馴染みになりつつある「天元シリーズ」です。
 
 
 

0.はじめに

 

 既に本ブログでは過去に何度か天元の正体についての考察記事を投げてきました。
 詳しくは下記の記事を読んでいただきたいのですが、早い話が天元もBLEACHの霊王と同じような流れで造られたのでは?」ということです。
 
 
 そう考えると偽夏油の目的も、御三家がなぜ「御三家」と呼ばれるに至ったのかも全てがすんなり理解できるからです。
 特に下記記事でも書きましたが、御三家が「御三家」という名称として誕生したのは呪術全盛の平安時代と年代が被っています(あくまで可能性が高い、という話ですが)。
 
 現時点で唯一考察の弊害になっているのが、「仮に天元が人工的に作られた存在であるなら、それはどこまで知らされているのか」という点です。
 姉妹校交流会編に花御が乱入した際には夜蛾学長は「俺は天元様に会ってくる」と発言していましたし、五条過去編では五条・夏油・夜蛾の3人が天元の術式や星漿体との融合の必要性について話しています。
 
 これら全てがブラフである可能性もありますが、「直接会う」ことができる夜蛾学長まで真実を知らされていないのか?という疑問が残ります。まぁこの点に関しては「今まで天元だと思っていた者は全くの別物であった」とすればしっくりきますが。
 
 これらの前段となる考察を踏まえたうえで、本稿に移ります。
 

1.最新話、これまでの九十九の発言

 

 まず最新話での九十九の発言を振り返ります。
 彼女は虎杖たちの救援として駆け付けたのち、「私もいい加減天元と向き合わないとね」と言い残しています。
 この「向き合う」という言い方、僅かですが引っかかりました。というのもこの「向き合う」という言葉、対人だけではなく対モノ・対概念に対しても使われる言葉だからです。「過去と向き合う」「子育てに向き合う」等ですね。もちろん人に対しても使いますが、彼女が(他の人が「天元様」と呼ぶ中で)天元を呼び捨てで呼んでいることからも、これは「天元≠人」という伏線なのではと思ったわけです(少なくとも他の人と異なり、九十九は天元を「崇める対象」とは考えていないようです)。
 
 続いて五条過去編での一幕。
 天内理子の護衛に失敗し、非術師に対する価値観で揺らぐ夏油の前に現れた彼女は天元についてこう言いました。
 
 「あの時もう1人の星漿体がいたか、既に新しい星漿体が産まれたのか、どちらにせよ天元は安定している」
 
 これも少し引っかかる言い方のように思いました。
 「安定」というのは人そのものに対して使われるものではなく、その「状態」に対して使われるものだからです。「建物が安定している」「容態は安定している」等です。山田太郎くんは安定している」という言い方はあまりしませんし、したとするなら「安定」という言葉が指す「何かしら」があるはずです。体調なのかパフォーマンスなのか。
 (仮に天元が人だとするなら、指しているのは恐らく「不死の術式が天元自身の肉体を高次の存在へと作り変えようとしている状態」のことだと思いますが)
 
 
 前述の「向き合う」という言葉の違和感や「天元」という呼び捨て。
 天元を「呪物」や「それに類する何か」であると仮定するなら、これらの点が一気に解決します。
 
 「(今までほとんどの術師が知らなかった/見てこなかった)天元の正体」と「向き合う」、つまり呪術界が過去に犯した過ち」を自分が正す。
 存在そのものが「過去の呪術界の負の側面」だからこそ「様」をつけて敬う必要がない(そういえば五条も京都の楽巌寺学長に対して「ハナから敬う気がねーんだよ」と鼻であしらっていましたね。これももしかすると伏線かもしれません)。
 
 

2.天元=守護神ではない可能性~「薨星宮」「星漿体」の意味から考える~

 
 そう考えると一気に話がダークになってきますね。
 これまで天元は「国内主要拠点や高専、補助監督の結界の底上げ」の役割を担う守り神的な存在として描かれてきました。
 
 ですが一つの可能性として、「天元=モノ」が考察の対象とすると一気に呪術界のイメージが逆転します。人々を守るために「誰か」を犠牲にし、「呪物」として抑留している可能性があるからです。
 
 ここで一つ、原点に立ち返って考えます。
 
2-1.「薨星宮」の意味

 

 まず一点目、天元が住んでいるとされる宮殿、「薨星宮」についてです。
 
 「薨星宮」という単語を漢字一つずつに分解して考えましょう。
 「星」「宮」の2つはほぼ字の通りでしょう。「星」は夜空に浮かぶ星(もしくはそれが比喩表現として指し示す何か・誰か)、「宮」は位の高い人間の住居のことです。
 
 では「薨」はどうでしょう。
 あまり見ない漢字ですが、これには「みまかる/(皇族などの)貴人が死ぬ」等の意味があります。つまり「位の高い人間が死ぬ」を指す漢字です。
 
 ここで「死んでいる」とされるのは、恐らくその後に続く「星」が指し示す「何か」。
 つまり「薨星宮」とは、「死した星(と呼ばれる誰か・何か)を祀る宮殿」という意味になります。
 この「星」とは、この宮殿の主人である「天元」なのではないでしょうか。
 
2-2.「星漿体」の意味

 

 次に気になるのは「星漿体」です。これは天元と同化する、所謂「人身御供」です。
 まず「星」ですが、これも前述と同じ、夜空に浮かぶ天体か、あるいはそれが比喩表現として示す誰か・何かです。
 
 では「漿」はどうか。
 これには「おもゆ/汁/飲み物」等の意味があります。要は液体のことですね。これを用いた馴染み深い語句に「血漿」があります。血液のおよそ55%を占める液体成分のことです。血漿とは人体にとって欠かすことのできない液体成分であり、これが流れることで人体は生命活動を行うことができます。
 
 これが転じるとしたらどうでしょう。
 前段で述べた「星(あるいはそれが指し示す誰か・何か)」を満たし、それが十全に機能するための「(血)漿(成分)」を供給する「体」
 
 つまり星漿体とは、文字通り「死した星」である天元を、それでも機能させるための「血漿」なのではないか。
 
 そう考えると、天元はやはり守り神などではなく、もっとどろどろとした悍ましいものである気がしてきますね。 
 
 
 天元に関しては引き続き本誌で情報が公開され次第、追記する形でどんどん考察していこうと思います。
 
 
 それではまた。
 
 
 よしなに。