ども、けろです。
タイトルが雑な通り、ちょっと思いついた勢いでキーボードを叩いているので、文章全体が雑になっていますがご了承ください。
とりあえず目次です。
1.これまでのおさらい
さて、呪術廻戦における御三家ですがこれまでも当ブログでは御三家がきな臭いという話を取り上げてきました。
下記の記事がまさにそれで、御三家はBLEACHにおける四大貴族に相当し、四大貴族が尸魂界の礎を築き上げた一族であるなら御三家も同様に呪術界の何かしらを作り上げたのではないか、というメタ考察でした。
この前提に乗った上でちょっと怖い話に気づいたので共有します。
kero-entame-channel.hatenablog.com
2.年齢と代から逆算する、御三家の"起点"
加茂家、五条家に関しては全体像が出てきていませんし、それぞれがどのような家系図なのかが明らかになっていないのでここではジャンプ最新号とこれまでの描写から禪院家にスポットを当てて以下の順で考えます。
2-1.考察の起点
まず、現当主は(既に亡くなっていますが)直毘人で、代が26代であることが明らかになっています。年齢は陀艮戦での「たかが右腕、さりとて71年物」という台詞から71歳であることが分かります。
この、26代目の当主が71歳という情報を考察の起点にします。
さて、27代目の当主を襲名するはずだった直哉ですが、その年齢は見た目から五条先生と同じくらいではと思われます。甚壱・甚爾(生きていれば)が直毘人の甥だとすると大凡40代〜50代でしょうから、直哉はそれより下の20代後半〜30代前半だというのが大凡の見立てになります。ここでは便宜上30歳とします。
2-2.当主としての平均在位期間の算出
直毘人は71歳で亡くなりました。まぁ死因は呪霊と戦ったことによる殉職なので不慮の死に分類されるとは思いますが、平均寿命から考えてもあと10年ちょいでしょうから、往生といえば往生でしょう。
では、直哉と直毘人の年齢差が当主交代に要する平均年数とすると、これが当主としての平均在位期間ということになります(もちろん事故死や病死、呪霊による戦死等もあるのでまちまちですが、先代が早くに死ねば次の当主は若く就任する蓋然性が高くなりますから、平均するとそれくらいになるのではという仮定です)。
ここは非常にシンプルな計算で、
(直毘人の年齢)71歳ー(直哉の推定年齢)30歳=41年
後の計算を分かりやすくするために四捨五入して<40年とします。
この40年を、御三家当主としての暫定の平均在位期間とします。
2-3.平均在位期間からみる、御三家の出発点
それではもう一度直毘人の設定に戻ります。
彼が禪院家の26代目当主です。26代目というのは当然、彼が当主として26人目だよ、ということです。
つまり彼の以前には初代から数えて25人の当主がおり、それぞれが平均在位期間の40年間当主をやっていたことになります。
(平均在位期間)40年×(歴代当主)26人=1040年
呪術廻戦作中における現代の時間軸は2018年が起点ですから、ここから上記の1040年を引くと978年、まぁ誤差もありますから非常にざっくり考えて1000年くらいでしょうか。つまり御三家の初代が誕生したのが大凡この年代ということになります。
さて呪術廻戦の世界における「1000年前」というのは何度も出てきた数字で、呪術全盛の時代です。両面宿儺が呪いの王として君臨し、恐らく裏梅や偽夏油も生きた時代、平安。
この呪術全盛の時代と御三家が始まった(と思われる)時代が重なるのは、果たして偶然でしょうか。
呪術全盛の時代とされる1000年前の平安の世に、御三家の始祖等は一体何を成したのか。何を成すことで彼らは「御三家」の名を冠されるに至ったのか。
やはり御三家は呪術界における基盤、礎の構築の中心的役割を果たしたと考えて間違いないのではないでしょうか。
御三家に関する考察は今後も続けていこうと思いますが、取り急ぎ。
それではまた。
よしなに。