ども、けろです。
恐らくこの記事タイトルを見た時に思ったことでしょう、「コイツまたやってんな」と。
そうです、連載2話目ですが既に『天傍台閣』を擦り倒す気満々です。むしろこのタイミングから擦ることでみなさんの脳裏に『天傍台閣』という作品の存在をサブリミナル的に刷り込み、草の根的に読者の数を増やしていこうという一般過剰熱量読者の企みです。
一人でも多くの方が「チッうるせーなそんなに言うなら読んでやるよ」となってくれるその日まで、僕は布教を続けていきます。
第1話未読の方はこちら↓からどうぞ。
新連載『天傍台閣』第1話、配信開始されました!https://t.co/fo8B0ikFnM
— 天傍台閣 公式 (@tembodaikaku) August 15, 2024
読切『皇の器』『國我政宗の呪難』で話題をさらった新鋭による初連載作!圧倒的な筆致で描かれる祕術大河、ぜひご一読ください! pic.twitter.com/9lSlTAYbwD
過去の考察記事も貼っておきます。
kero-entame-channel.hatenablog.com
今回は作中で暦として用いられている「皇紀〇〇年」という歴史から、《不染派》と呼ばれる分離独立派が独立運動を引き起こしたきっかけについての考察です。
というわけでやっていきましょう、天傍台閣考察回です。
1.「皇紀」という暦
まず初めに、作中で用いられている「皇紀」という暦について、その定義から探っていきましょう。
というのもこの「皇紀」という暦は、なにも本作品オリジナルの暦というわけではなく、我々の生きる現実世界にも存在する暦だからです。
初学者の頼もしい味方、Wikipedia先生によると、「皇紀」の定義とは以下となるようです。
神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)は、初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年とする日本の紀年法である。『日本書紀』の記述に基づき、元年を西暦(キリスト紀元)前660年としている。
通常は略して皇紀(こうき)という。その他、神武紀元、即位紀元、皇暦(すめらこよみ、こうれき)、神武暦(じんむれき)、日紀(にっき)等の異称がある。
我々が通常用いている暦は「西暦(正確にはグレゴリオ歴)」ですが、『天傍台閣』の作中で用いられている「皇紀」は「初代天皇が即位した年を元年とする暦」であり、我々の暦に660年を足すことで「皇紀」での暦カウントが可能になります。
作中で龍守らが登場したのは「皇紀2683年」。
ここから660年を引くと「2023年」となりますので、本作で用いられている「皇紀」という暦の定義が我々の歴史観と同一のものである場合、本作の時間軸は我々と同じ現代ということになりそうです。
2.独立運動の契機
では次に、不染派(分離独立派)が独立運動を起こした年数と、その発端についてあれこれ考えていきましょう。
現時点では考察に足るだけの材料が乏しく、妄想の域を出ないものになっておりますが、ご容赦いただければ。
2-1.実際の歴史との同一性
前提として、そもそも『天傍台閣』作中の歴史観・世界観は我々の世界と完全に同一ではありません。
そもそもの国名からして「日本国」ではなく「八洲国」という架空の国名ですし、その地理区分も我々の日本とは大きく異なっています(名称には面影がありますが、地形も大きく異なっています)。
一方、実社会の描写を見てみると、「司州 都城府」の景観は渋谷のスクランブル交差点を彷彿とさせる光景になっていましたし、「スターバックス」や「TSUTAYA」に相当する店名も確認できます。
併せて、作中で登場する電子機器類についてもスマートフォンが描かれており、「皇紀2683年(西暦2023年)」という時代背景に即した技術発展があるように見えます。
つまりこれらの描写から、「『天傍台閣』作中で描かれている歴史観・地理観は我々の世界とは異なっているものの、技術的な発展度合いや産業面(経済的側面)も我々の世界と同じように発展している」と言うことができ、その歴史的歩みについても一定の同一性・関連性があると言えるのではないでしょうか。
(たとえば、「第二次世界大戦」と呼ばれる出来事が起こっていなくとも、同じ年に別の単語で置き換えられる戦争が起こっている等、我々の世界の歴史観を一部反映している可能性がある、ということです)。
2-2.歴史的事件との重なり
さて、前置きが長くなりましたが、本考察の主題です。
本作における社会は不染派(分離独立派)と呼ばれる術者達による大規模なデモ運動に端を発し、《東仙境》と呼ばれる術者の郷国が生まれたことによって現在の成り立ちを迎えています。
その分離独立運動が起きたのは「皇紀2579年12月7日」、西暦に直すと「1919年12月7日」です。
この「1919年」という年数は、我々の世界においてもかなり意味のある年数だと思っています。
なぜなら1919年は「ヴェルサイユ条約が締結された年」であり、事実上「第一次世界大戦が終わった年」となるからです(ヴェルサイユ条約締結は1919年6月6月28日)。
またスコープを日本史に絞った場合でも、その直前には「日清戦争(1894年)」「日露戦争(1904年)」と大きな戦争が二度勃発しており、術者達が分離独立を求めて立ち上がったのはこれらの戦争が終結し、世界的にも激動の真っ只中だったということになります。
作中においては「祕術界では術者の社会的地位を見直す機運が高まる」と書かれており、『社会的地位を見直す機運が高まった結果、分離独立運動に繋がった』と言うことができます。
そしてこれは、『当時の術者達の社会的地位は、分離独立という急進的動きを是とするほど劣悪なものだった』と換言することもできます(人が動くには相応の"きっかけ"があるからです)。
「1919年」という、日本史/世界史双方において意味のある年代。
そして当時の術者達が置かれていた、「分離独立を志すほどの社会的地位の低さ」。
これらのことから導けるのは、「先の大戦、あるいは二度の戦争において、術者達は劣悪な扱いを受けていた」という可能性です。
ここでいう「劣悪な扱い」というのがどういったものを指しているのかについてはかなり難しいところですが、例えば「敗色濃厚な戦況を打開するために少数の術者を投入する(≒少ない損失で最大の戦果をあげるため捨て駒扱いされた)」、「時間稼ぎのために術者を肉壁にした」等の、およそ現代では考えられない倫理観に基づく軍事的判断などでしょうか。
《東仙境》という特別自治区ができるまでは術者による体系化された組織がなかったところを見ると、「国にとって都合のいい戦力」とみなされていても不思議ではありませんし、そうした扱いを受けてもなお社会的に冷遇されていたのであれば、分離独立という急進的な行動を起こしたとしても何らおかしくありません。
ガチガチの時代考証と世界観設定が紡がれている本作のことですから、その辺りの設定もきっと練られているんだろうなと妄想しています。
これ以上は考察というより妄想になってしまうので、ここら辺で。
皆さんも『天傍台閣』読んでみてください。
それではまた。
よしなに。