ども、けろです。
『劇場版呪術廻戦0』の宿敵こと夏油傑。かつては「弱者生存」を信念に掲げ、呪術師は非術師のためにあるべきという思想を持っていた彼は、12年前にその道を決定的に違え、劇場版本編では「非術師を皆殺しにしようとする巨悪」として主人公・乙骨憂太達の前に立ちはだかります。
今回の記事はそんな夏油傑の劇場での行動に焦点を当て、『夏油傑は何故禪院真希を殺さなかったのか』について深堀りしていこうと思います。
これから映画を観る方、もう視聴済みの方双方にとって何かしらの気づきになればなと思います。
それではやっていきましょう、劇場版呪術廻戦考察回です。
1.前提の共有
まずは本考察を進めていく上で、映画本編での夏油傑の行動、及び周囲の人間との対比を見ていきます。これらの描写は原作である『0巻』には描かれておらず、映画の中で初めて明示的に描かれたものとなります。
1-1.非術師・禪院真希を殺さず血溜まりを踏み締めた夏油傑
劇中後半、新宿と京都に1000の呪霊を放った夏油は、真の目的である特級過呪怨霊・折本里香の奪取、及び乙骨憂太殺害のために高専に現れ、そこで高専1年の狗巻棘・パンダ・禪院真希とそれぞれ戦闘になります。
より正確には真希と乙骨が残された高専に現れた夏油が真希を倒し、乙骨を守るために新宿から飛んできた狗巻とパンダを戦闘不能にしました。
その後のストーリーは乙骨vs夏油の戦いを中心にヒートアップしていくわけですが、注目したい点はそこではなく、「夏油が真希の血を踏み締めた」という点です。
これは「地面に倒れ伏す真希から流れる血溜まりを、夏油が踏み抜いていくシーンが夏油の足元のアップという構図」で作られており、明確に意図して描かれた新カットであると考えられます。
何故ならその夏油の行動は、「夏油が表面的に掲げている思想」と明確に矛盾しているからです。
1-2.夏油傑の思想
夏油傑の思想は、作中で明言されている限りは一貫しており、「非術師を皆殺しにし、術師だけの楽園を作る」です。その思想を体現すべく、彼は12年前に高専を離反しており、実の両親も「両親だけ特別というわけにはいかないだろ」という理由で手にかけました。
劇中で初めて高専を訪れた際には、1年生の真希に対して「禪院家の落ちこぼれ」と評しており、それに反発した真希には「君のような猿は私の世界にはいらないんだから」と嫌悪感を露わにしています。
その直前にも夏油は、自分達の元を訪れた金森という男を「金がなくなったなら用済み」と言い捨てて殺害しており、これらの描写だけを見れば夏油傑という男は「術師至上主義の優生思想に堕ちた人物」と捉えることができます。
ですが彼自身が「落ちこぼれ」と評し、「猿(=夏油達にとって「非術師」の蔑称)」とさえ呼んだ禪院真希を、夏油は殺害せずに放置しています。
※より正確には真希は「「4級術師」として高専に登録されており、呪具を用いれば呪霊を祓うこともできるので厳密な意味で「非術師」ではありません。夏油が口にする「術師・非術師」の線引きは、おそらく「呪力を有しているかどうか」であると考えられます。
小結論①:夏油傑の禪院真希に対する振る舞いは、彼の思想と矛盾している。
1-3.夏油の側近・菅田真奈美の描写
そんな「非術師・真希の血を踏み締めた夏油」と対比となる形で描かれたのが、彼の側近である菅田真奈美という女性です。
彼女は夏油の側近として振る舞っており、戦闘というよりも組織のサポートや百鬼夜行における補助要員としての役目を担っていたと考えられますが、その思想は非常に分かりやすく、「術師至上主義」です。
それが端的に現れているのが、夏油による前述の金森殺害のシーンです。
このシーンで殺害された金森の身体から溢れた血溜まりを、菅田真奈美は「汚らしい。本当に同じ人間ですか」という言葉とともに避けています。
より詳細に書くなら「死体から広がる血溜まりが菅田真奈美の足に触れる直前にサッと足を退けたシーン」であり、これも先の真希のシーンと同様に足元がアップになる構図です。
彼女が「非術師・金森の血に触れないように避ける」のは、彼女が「非術師=劣った存在」と認識していると考えれば腑に落ちます。
ですが先の夏油の「非術師・真希の血を踏み抜いた」のは、彼が表面的に掲げる思想と照らし合わせた際には矛盾しており、辻褄が合わない行動と言えます。
1-4.仮説の提示
さて、前提の整理で少し長くなってしまいましたが、一見矛盾していると思われる夏油の行動と、劇中で断片的に描かれたシーンを繋ぎ合わせていくと、ある一つの可能性が浮かび上がってきます。今回はそれを一つの「仮説」とし、考察していきたいと思います。
仮説:夏油傑の目指す世界は、「非術師のいない世界」ではない。
2.夏油傑の部屋の掛け軸の言葉
まずは劇中本編で一瞬だけ登場した夏油傑の部屋について、彼の背後にかけられていた掛け軸の言葉に注目していきます。
この掛け軸も0巻では全容が描かれておらず、映画本編にて初めてその文言の全てが明らかになりました。
「愚者に死を」
「弱者に罰を」
「強者に愛を」
この三つが掛け軸に書かれていた標語になります。
「愚者」「弱者」「強者」に分かれたこの標語ですが、少しだけ引っかかります。引っかかるというか、遠回しな言い方に感じました。
再三になりますが夏油の思想は表面的には「非術師の皆殺し・術師だけの世界」です。つまり彼が描いている世界には「非術師」「術師」の二者しか存在していないはずで、であるならば彼の部屋に飾られている掛け軸の標語も、本来なら「弱者に死を」「強者に愛を」の二つだけでいいはずです。
ですが掛け軸では「愚者」と「弱者」が明確に区別されており、その扱いも「死」と「罰」で若干ニュアンスが異なります。
「死」は直線的で分かりやすく「肉体的な死による世界からの消滅」であり、夏油は「愚者(とされる何者か)には死をもって世界から消えてもらう」と考えていると言えます。
ですが「罰」はどうでしょうか。何・どのような行動を「罰」と定義できるのかは曖昧であり、その対象となっている「弱者」も、「愚者」と何が異なるのかについて作中で明言はされていません。
「強者に愛を」が分かりやすく「虐げられている術師に救いの手を差し伸べること」を意味しているのに対して、その他二つの「愚者に死を」「弱者に罰を」は、それぞれ「誰に」「どのようなことを望むのか」の二点が不明なままになっているわけです。
どちらも「非術師」を指していると考えることもできますが、であるなら前述のように「愚者」「弱者」で二分する必要はありませんし、それぞれに対する扱いを「死」「罰」で分ける必要もありません。
小結論②:夏油の思想では「愚者」と「弱者」は別の者を指している。
3.乙骨との訓練中の真希の台詞
夏油が非術師・金森に「死」を与えていたことから、ここでは一旦「愚者=非術師」としておきますが、では「弱者」と「罰」は具体的に何を指しているのでしょうか。
キャラクターの台詞が音声になっている劇場版では分かりませんが、実は原作である『0巻』には「罰」という単語が一度だけ登場しています。
それは0巻第2話「黒く黒く」にて真希との立ち合いに望む乙骨に対して真希がかけた言葉で、「罰」という漢字に対して「いたみ」のルビが振られています。
「罰」という文字が使われたのは0巻作中では後に先にもこの台詞だけであることからも、作者的には何かしらの意図・メッセージがあるのではと考えることができそうです。
このシーンは真希との訓練中に一本取られた乙骨に対し、真希が手にした得物で額を小突くシーンなのですが、このコマの直前で乙骨は「最後のいりました?」と尋ねています。真希の台詞はその問いを受けての返答でした。
「罰(いたみ)があるのとないのとじゃ、成長速度がダンチなんだよ」という真希の台詞は、「里香の呪いを解くために強くなりたい」と願う乙骨にかけた彼女なりの激励の言葉であり、『訓練における肉体的な痛みは、そのまま個人の成長を促すことに繋がる』という意味があります。だから「痛み」という漢字ではなく、「負けたことに対するペナルティ」を意味する「罰」という字に、「いたみ」というルビが振られているわけです。
つまり0巻全体を通して「罰」という言葉は、「弱い術師の背中を押し、強くなるための成長促進剤」として使われている、ということになります。
小結論③:「罰」とは「術師としての成長を促す要素」である。
さて、それを踏まえた上で「弱者に罰を」という掛け軸の言葉を読み解いてみましょう。
「罰」という言葉に「成長を促す」という意味があるのだと解釈するならば、「弱者に罰を」という標語には「弱者(とされる何者か)には強く成長してもらいたい」という別の意味が隠れていることになります。
では「弱者」とは誰のことでしょうか。
※夏油はその高説の中でしきりに「強者/弱者」という言葉を使っていましたが、ここではそれとは別のものとして考えます。彼の口から出た言葉には彼の本音は表れていないと考えられるためです。
作中で「罰(いたみ)」を与えられたキャラクターは、乙骨憂太・狗巻棘・パンダ・禪院真希の四名が挙げられます。
狗巻・パンダ・真希の三名に関しては「弱者に罰を」の標語を掲げる夏油本人が手をかけており、中でも真希は「夏油が血溜まりを踏み抜く」という意味深な描写があります。
乙骨に関してはvs夏油の一戦もそうですが、前述の真希との訓練の方が「罰」という言葉と直接結びついていると考えられます。
それぞれの状況における真希と乙骨の共通点は、「術師としては弱い」です。真希は一般人並みの呪力しか持たない4級術師、(第2話冒頭での)乙骨は階級こそ特級ですが身体能力は貧弱であり一人で戦えるとは言えないレベル。どちらも共通して「弱い」という点があり、より詳しく言えば「戦いの中で己も他人も救えない弱い者」です。
小結論④:「弱者」とは「戦いの中で誰も救えない弱い者」のことである。
4.夏油にとっての「理想の世界」
先ほど僕は「愚者=非術師」としましたが、これは正確ではありません。何故なら夏油は呪力を持たない真希に対しても嫌悪の眼差しを向けており、その彼女を殺害していない時点で「愚者=非術師」の等式は成り立ちません。仮にそうであるなら、呪力を持たない真希もまた「愚者」に含まれるはずだからです。
ここで、狗巻とパンダを制圧した直後の夏油の台詞を見てみましょう。
「素晴らしい!! 素晴らしいよ!!!
私は今!! 猛烈に感動している!!!
乙骨を助けに馳せ参じたのだろう!!? 呪術師が呪術師を、自己を犠牲にしてまで慈しみ!! 敬う!!
私の望む世界が、今目の前にある!!!」
ここで背景に描かれているのは狗巻とパンダのみですが、真希もまた「4級術師」という階級を与えられた「呪術師」です。
そして彼女は高専に現れた夏油に単身立ち向かっています。
真希は「てめぇこそなんでここにいる」と尋ねているのでこの時点で真希はなぜ夏油が高専にいるのか分からなかったようですが、その行動は大局的に見るなら「乙骨を守ること」に寄与しているといえます。
つまり夏油のいう「呪術師が呪術師を、自己を犠牲にしてまで慈しみ、敬う世界」の中に、真希も含まれているわけです。
ですが真希は呪力を持っていません。夏油の言う「非術師(≒呪力を持たない者)を皆殺しにする」という大義が仮に額面通り正しいのであれば、真希もまたその殺害対象に入るはずです。
小結論⑤:「呪術師」である真希も、夏油の理想とする世界に含まれている
5.掛け軸の意味
さて、長くなりましたがまとめていきます。
これまで考察してきた小結論が以下の通りになります。
①:夏油傑の禪院真希に対する振る舞いは、彼の思想と矛盾している。
②:夏油の思想では「愚者」と「弱者」は別の者を指している。
③:「罰」とは「術師としての成長を促す要素」である。
④:「弱者」とは「戦いの中で誰も救えない弱い者」のことである。
⑤:「呪術師」である真希も、夏油の理想とする世界に含まれている
これらの要素を踏まえていくと、夏油の部屋に飾られていた掛け軸の意味が明らかになる気がします。
「強者に愛を」とは「これまで一般社会の秩序のために人知れず虐げられてきた術師に救いの手を差し伸べること」。
「愚者に死を」とは「術師達がその身を犠牲にしていることに無知で無頓着な者に死を与えること」。
そして「弱者に罰を」とは、「自分と他人を救う力を持たない弱き術師に、成長のきっかけを与えること」。
もちろんこれは一つの考察であり、これが正しいと言うつもりは毛頭ありません。
ただ、こう考えると夏油傑という男は、単に「非術師が憎かった」というよりも、「仲間が社会の維持のために人知れず命を落としていくことに耐えられず、そのことに無知で私欲を肥やしている連中が許せなかった人物」と考えることができます。
ここで最初の仮説に戻りましょう。
夏油傑の望む世界というのは、「術師だけの世界」ではなく、「術師という存在に光が当たり、その命が無駄に散ることのない世界」だということです。
だからこそ彼は真希を殺さず、「罰(いたみ)」を与えるだけに留まった。彼女には成長してもらいたいとどこかで思っていたから。反対に「早く儂の呪いを祓え!」と自己中心的な願いで術師を利用しようとする金森は殺した。同じ「呪力を持たない者」であっても、真希と金森に対する違いがあったのはこうした理由だと解釈・考察できそうです。
でもその考えを実行に移してしまったら、術師・非術師を問わず「他者に対する慈しみ」という恣意的な軸で選民を始めてしまったら、いよいよ夏油本人の私的な感情だけで動く呪詛師になってしまう。だから夏油は、「非術師は死すべし」という大きすぎる大義を持って離反してしまったのではないか、と僕は考えます。どこまでも不器用な男ですね……
劇場版を受けての感想・考察記事はまだまだ書けそうなので、ゆるくやっていきます。
それではまた。
よしなに。
*1:引用:芥見下々『東京都立呪術高等専門学校』集英社、p.68