ども、けろです。
先日12月24日についに公開になった劇場版呪術廻戦0、皆さんはご覧になりましたか。
僕は公開日に3回、翌日に1回見たので現在計4回視聴済みです。周りにも複数回見ている人が多いので勘違いしそうになりますが、冷静に考えなくても狂気だなと思います。
本当は公開初日に記事を上げたかったのですが、プライベートや仕事がそこそこに忙しかったので公開から約一週間経ってしまいました。
というわけで今回は劇場版呪術廻戦0を4回見てきたオタクによるただの感想記事になります。一応念のために書いておくと、全編にわたって映画の内容にガッツリ触れているのでネタバレ注意です。映画を初見で楽しみたい方はここでブラウザバックしてください。
それではやっていきましょう、劇場版呪術廻戦感想回です。
1.乙骨憂太の成長が泣ける
1-1.自信を獲得していく過程
呪術廻戦0は、その名の通り『呪術廻戦』という作品の原点であり、連載のプロトタイプとなった作品です。時間軸は本編の1年前、主人公は乙骨憂太。
僕の最推しはこの乙骨憂太なんですが、何がいいってその成長なんですよ。幼馴染で婚約者の折本里香が呪霊として取り憑いてしまって以降、「他人を傷つけたくない」という理由で自分を閉ざしていた乙骨が、高専の同級生との出会いを通じて少しずつ前を向いていく過程が、本当にかっこよかった。
もちろん原作の流れは知っているんですが、やっぱり声がついてアニメとして動くと感動が湧いてきます。
特に今回、乙骨の声優が緒方恵美さんということもあり、僕は一人、劇場で震えていました。感動で。
kero-entame-channel.hatenablog.com
何がすごいって、緒方恵美さんの演技の巧みさです。
物語序盤はおどおどして内気な性格、中盤以降戦いに身を投じるようになってからは徐々に前を向くようになっていくその過程が、声からも伝わってきて最高でした。本当に最高。
第一声の時点で満足していたんですが、僕が「緒方恵美さんが乙骨をやってくれてよかった……」と一番最初に確信したのは小学校で真希に問い詰められた乙骨が「誰かに必要とされたい。生きてていいって自信がほしい」と吐露するシーンです。
本当にすごいんですよ。16歳の少年の、心の底から滲む本音。一度は死のうと思った彼が、それでも他者との繋がりを欲して前を向いた決定的な瞬間。声に魂が宿っているなと痛感しました。
1-2.自己中心の自己肯定
乙骨を語る上で欠かせないのが、ラストバトルで夏油に向けて放った台詞です。
「僕がみんなの友達でいるために、僕が僕を生きてていって思えるように、お前は殺さなきゃいけないんだ」
もちろんその後の「僕の心も体も全部里香にあげる」も「純愛だよ」も全身鳥肌の神シーンなんですが、僕的にはこの台詞にグッときましたね。
それを受けた夏油が「自己中心的だね。でも自己肯定でもある」と評したように、ここに乙骨憂太というキャラクターが全て詰まっているような気がしています。
目の前の相手の思想が正しいのかどうか、この戦いに意味があるのかどうかはわからないけれど、少なくとも自分が戦うことには意味があるのだと確信している乙骨の剥き出しの感情。「殺さなきゃいけないんだ」の若干掠れた感じの声は、劇場で聞いたらもう忘れられません。
緒方恵美さん、乙骨を演じてくれて本当にありがとう…………
1-3.黒い火花が微笑む
と、ここまでは原作を読んだ上で「原作に対する肉付けとしての劇場版」の側面からの感想でした。
ただこの劇場版、オタクを殺す要素がてんこ盛りでした。それはそれはてんこ盛りです。
どれが筆頭かを決めることは難しいんですが、とりあえず劇場でサイレント爆笑したのはこれです。
夏油と対峙する乙骨。手にした刀に呪力を込めすぎたせいで刀が自壊し、夏油に「駄目じゃないか」と諭されるシーンで乙骨は全力の顔面パンチをお見舞いするわけですが、これが劇場版では黒閃発動になっていたんですよ。
「黒閃」は、打撃とほぼ同時に呪力が炸裂することで呪力が黒く光る技で、作中では割と必殺技のようなポジションで描かれていました。
アニメでは最終話の虎杖・釘崎のダブル黒閃が印象に残っていますが、劇場版でもやってくれました。しかもアニメと同様、炸裂の瞬間にBGMとの音ハメをする演出付きで。
僕はこの時完全に油断していました。このバトルの流れは原作で知っていたし、「くるぞくるぞ乙骨の顔面パンチ〜」くらいの心構えだったので。
そこに突然ぶち込まれる乙骨の黒閃発動と音ハメ。興奮と感動でもう笑うしかなかったです。ヤバすぎ。
2.京都百鬼夜行の新カット
他にも劇場版ならではのサービスカットがたくさんあって、もうMAPPAには足を向けて寝られません。
2-1.京都校の活躍
夏油が引き起こした百鬼夜行は「東京と京都にそれぞれ1000体の呪霊を放つ」というもので、東京と京都でそれぞれ激闘が繰り広げられるものでした。
原作では物語進行の都合上東京サイドのみが描かれていましたが、当然「京都百鬼夜行での戦い」もあったわけで、それを劇場版で補完してくれたのは控えめに言って最高でした。
もちろん尺の都合もありますしあくまでこの物語の主人公は乙骨なので各キャラクターの行動が深掘りされた、というわけではありません。
ただそれでも、原作本編では既に亡くなっているキャラクターの動いている姿が見られるというのはそれだけで最高でしたね。個人的には東堂は映画でも東堂だったので安心しました。
2-2.七海の黒閃4連発
百鬼夜行、というだけで淡い期待を抱いていたのですが、さすがMAPPA、そこらへんに抜かりはありませんでしたね。
七海が黒閃4発の連続発動記録保持者であること、それを打ち立てのが百鬼夜行であることは既に明かされていましたが、まさかきちんと映像化してくれるとは……という感じでした。
呪霊相手に次々と命を落としていく術師達。仲間の死を目の前に震えながらも戦場へ向かう術師の肩を叩いて「ここは私が」と前に出る七海の姿、正直めちゃくちゃかっこよかった。劇場版での台詞はかなり少なかったけど、それが「多くを語らず背中で魅せる」を表現しているようで素晴らしかったです。しかもその直後に乙骨の黒閃描写があったので、黒閃繋がりで最高に滾りましたね。
ちなみにですが七海が倒した巨大な呪霊、実はアニメのオープニングで七海が祓った呪霊と同じらしいです(フォロワー情報)。
2-3.禪院直哉の活躍
直哉はいました。
3.五条と夏油の別離
これに関しては衝撃というか、驚きが大きかったです。僕は最速上映で鑑賞したので前情報の一切から解放されていたんですが、だからこそ初見の衝撃は凄まじかったです。「え、そんなに新カット出すの?」って感じでした。
ただ、これは批判でもなんでもなく、むしろ拍手喝采です。
0巻の内容はもちろん素晴らしいんですが、五条と夏油の確執・因縁に関しては本編本編8、9巻収録の過去編にて深掘りされる内容なので、この時点では表層的というか、あくまで「五条と夏油は過去に何かあったんだよ〜」という匂わせがある程度でした。
それが……まさか新カット特盛で補完してくれるとは……
僕は乙骨の活躍目当てで映画を観に行ったんですが、それでも泣きました。あんなん泣きます。
3-1.離反する夏油
まずは夏油が高専を訪れて宣戦布告した直後の新カット。
喧騒の中向き合う、過去の夏油と五条のやりとり。
「君は五条悟だから最強なのか、最強だから五条悟なのか」
「何が言いてぇんだよ」
「もし私が君になれるのなら、この馬鹿げた理想も地に足が着くと思わないか?」
五条と夏油が決定的に道を違えることになってしまったこのシーン、まさか今回の劇場版でその断片が描かれるとは思ってなかったです。まずはここで泣きました。
このやりとりに関する考察・深掘りは後日別の記事でやろうと思いますが、本当に印象的というか、この描写があるおかげでその後のシーンへの没入感が段違いでした。
3-2.向かい合った椅子
次は夏油が高専を訪れ宣戦布告した後のこのシーン。
初見だと気づかず、フォロワーさんに教えてもらって2回目以降で確認したんですが、ここで描かれた誰もいない教室、実は机を挟んで椅子が向かい合わせになっています。
その椅子は当然夏油と五条のもので、かつての二人が同じ目線にいたことを暗示しているような気がします。
ここで流れた夏油の台詞は、今の夏油とはまるで真逆の思想で、「弱者救済」を語る夏油の凜とした雰囲気が儚かったですね……
ちなみにここで「それ正論?」と噛み付く五条の一人称が「俺」になっているの、めちゃくちゃ細かくて最高です。五条が一人称を変えるきっかけになったのが、まさに夏油なので。
3-3.二人の想い出
乙骨との戦いに敗れ、敗走する夏油。そんな夏油の前に現れた五条との最後のやりとり。もうこの時点で涙腺ガバガバだったんですが、最後の最後で挿入されたオリジナル演出に全ての情緒を持っていかれました。
かつての学舎で家入硝子を含めた3人で笑い合った日々、星漿体・天内理子護衛任務で訪れた沖縄での一幕、そして並んで笑う若き日の二人……
MAPPA含め製作陣に人の心がない(褒め言葉)と確信した瞬間であり、最高の原作補完だなと感じました。
前述の通りこの物語は乙骨と里香を巡る物語なので、それ以外の人物に関してはあくまで軽く触れられている程度です。
そこにアニメオリジナルの新カットを織り交ぜることで「乙骨憂太の物語」としての側面だけではなく、「かつて別れ損なった最愛の人との訣別の物語」としての側面が追加されていて、作品の軸はそのままに、作品としての厚みが増していて素晴らしいの一言でした。
4.エンドロール後のアニメ続編の匂わせ
エンディングで突然流れたKing Gnuの『逆夢』の衝撃もそこそこに、エンドロール後でも制作サイドはこちら側のメンタルを抉ってきました。
そこで描かれたのはアフリカ・ケニアで食事をする乙骨とミゲル。そしてそこに訪れる五条、というわずかなオマケパートでした。
恐らくアニメ派からすると「なんで二人がアフリカにいるの?」「そもそもなんでミゲルが味方になってるの?」「なんで五条が二人の元を訪れたの?」と疑問符まみれになること間違いなしだと思うんですが、原作派からすると最高にニクい演出だなと感じました。
まず大前提として、原作本編開始当初の時間軸で乙骨は海外に遠征しています。
目的は「(映画でミゲルが使用した)術式を乱す特殊な呪具・黒縄の残りを探すこと」であり、乙骨のお世話係としてミゲルが同行しているわけです。
そしてそこに五条が訪れたのは作中の時間軸でいうとちょうど京都姉妹校交流会編の直前です。本編でも五条は「海外に行っていた」旨の発言をしています。
ここで五条が乙骨の元を訪れたのは、「自分に何かあったら宿儺の器・虎杖をよろしく頼む」というお願いをするためだったんですが、そのことが明らかになるのは原作17巻のことです。
つまりこの時点で製作者サイドは「渋谷事変までのメディアミックス化」を見越していて、それを劇場版の最後に布石として見せてきたわけです。
もちろん原作が全て映像になるかどうかは円盤の売り上げや視聴率、映画の興行収入等様々な要因がありますが、要するに「人気次第ではそこまでやるよ」と仄めかされているわけです。あまりにもニクい……
はい、劇場版の感想を綴っていたらもうすぐ5000文字を超えそうです。
映画の感想・考察に関する個別の記事はこれから先もあげていくので、興味ある方は待っていただけると幸いです。
それではまた。
よしなに。