けろの漫画雑談所

漫画の感想・考察・妄想の集積所です。主にジャンプ作品についてだらだらと語ります。

【感想】第45話_原作者の願い、脚本家の苦悩【推しの子】

Hatena

 ども、けろです。

 

 漫画や小説といった2次元作品の実写化と聞くと、皆さんどういった感想を抱きますか。

 楽しみ、不安、複雑、あの役者にやってほしい、流行りの役者はダメ、様々だと思います。

 

 そしていざその作品が公開され、劇場や舞台に足を運んで完成品を目の当たりにした時の感想も、人によって様々だと思います。

 ある人は絶賛しているけれど、またある人には微妙だと受け取られてしまったり、SNS上でも賛否が飛び交うことでしょう。

 

 そして、ひとたび『つまらない』という認定をされた時、その批判はどこへ向くのでしょうか。

 

 

 というわけでやっていきましょう、推しの子感想回です。

 

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 1.原作者の目に映る世界

 

 前回、壮大なちゃぶ台返しを披露した舞台原作者・アビ子先生。

 脚本家達制作陣を見つめるその眼差しはまっすぐで、彼女が本心で脚本のリライトを望んでいることが伝わってきます。

 

「うちの子たちはこんな馬鹿じゃないんですけど」

 

「道端で心情をべらべら喋ってきっしょい構ってちゃん集団になってる」

 

「聡明さが消えて馬鹿な女にしか見えない」

 

「センス無い、修正も的外れ、エンタメを理解してると思えない」 

 

 

 いやキッッッッッッッッッッッッッッツ

 

 僕だったら目の前で自分が作ったものをここまで言われたら号泣しながら絶叫します。自分が脚本家の立場だったら多分筆を折るレベルでメンタルにくるダイレクトアタック

 

 でもまぁ、創作者っていうのは常にこういう批判に晒される職業なんだなぁと。「作品」を世の中に送り出す以上、そこに賛否が生まれるのは当然で、だからこそ様々な意見が寄せられるし、そこには上記のような辛辣かつ的確なコメントもあると思います。

 

 

 ただ、世間一般における批判と今回で決定的に違うのは、その批判を口にしているのが原作者ということです。

 原作者、つまり創造主の頭の中には「正解の絵」があって、それを創作の過程でアウトプットするのが仕事です。

 漫画や小説のように個人で創作に打ち込むならそれで問題はないでしょう。自分との戦いの中でより良いものをアウトプットすればいいので。

 

 でも今回のように、第三者にそれを託す場合、結果として出来上がったものが必ずしも「正解」とは限らないんだなぁと。

 

 アビ子先生が「うちの子たち」と言ったのは、彼女にとって自分の作品のキャラクターというのはまさしく彼女が身を削って生み出した「我が子」であり、だからこそそれが改変されるのが耐えられなかったんだろうなぁと。

 でも批判は「脚本」に対してするべきであって、「脚本家」を攻撃するような言い方はだめだよ。うん。

 

 

 もちろん舞台や映画など、尺や演出、スポンサーなどの都合で全て原作者の思い通りに作り上げるのは困難だと思います。

 ただそれでも、メディアミックスを経験されている多くの作家さん達がこうした思いを(大小の差はあれど)抱いているのかなぁと思うとしんどくなってしまいますよ。。。。

 

 特に、世間一般的に「爆死」と言われる映像化作品の原作者の方々は、どういう面持ちでそれらを見ているのかなぁとか、とても胸が苦しくなりました。

 

2.しがらみと制約の中で生み出される「エンタメ」

 

 ただ、それと同時に今回台本の出来を責められている脚本家の人が全面的に悪いとも言えないよなぁと。

 

 原作者と脚本家の間に多くの大人が仲介し、ほぼ伝言ゲーム(かつその過程でそれぞれの大人の事情も混ざってしまう)状態で脚本家に伝わる「意見」というのは、果たして原作者の「肉声」と呼べるのか。

 

 しかも脚本家も、よほどの片手間仕事でもない限り「適当に作ってやろう」という悪意はないわけで、特に今回の脚本家は原作を「本誌で」「1話から」読んでいるというかなりのファン。俄然気合いを入れて作った脚本だし、彼なりに自信もあったんだろうなと。

 

 再三になりますが、やっぱりアニメやドラマ、映画や舞台といった多くの関係者が関わるメディアミックスというのは、どうしても様々な「制約」の中で生み出されるのだなぁと。

 

 

 そりゃその結果生まれたものが自分の作ってきたものと全然違ったら「この劇の許諾取り下げます」と啖呵切ったりしませんよ。いやまぁここまで面と向かって制作陣営に意志を伝えられるのはすごいんですけど。しかも何千万とかかるであろう違約金に関しても「私が出します」とキッパリ言えるのもかっこいい。自分の「子ども」を守るために身銭を切ることができるのは形は違えど「親」なんだなぁと。

 

 

 まぁもちろんアビ子先生のこの行動が必ずしも良いかと言われればそれはまた違うと思いますが。

 

 

3.「脚本家」は創作マシーンではない

 

 ー頑張ったつもりなんだけどな

 

「……ちくしょう」

 

 

 え、なにこの展開。

 

 間違えて『左ききのエレン』読んでた?

 僕が読んでたのは顔が顔が良いけど性格に難のあるコッテリオタク・アクアとその周囲で繰り広げられるドタバタ芸能コメディだと思っていたんですケド。

 

 

 大人が苦しんでる姿見せるのやめてよ!!!その描写は社会人やってる僕に効くから!!!!!

 

 しかもこの人、プロ中のプロでしょ!?そんな人が誠心誠意頑張った結果それが認められず、しかも誰にも本音を言えずひとり自室で諦めたように言わないでよ!!!!!おい!!!!GOA!!!!!

 

 

 ビジネスマンが現実と才能に打ちのめされて苦汁を舐めるのは『左ききのエレン』だけで良いんですよ!!!!顔の良い男の子と顔の良い女の子のキャッキャウフフ展開を補充させてくれよ!!!!!!!

 

 

 こういう、一つの物事にはいろんな側面があっていろんな人達が様々な思いで関わってるんですよ的な描写に弱いんですよ。ちょろいので全員に感情移入してしまうので。

 

 

 今まではこのGOAという脚本家にあまり良いイメージは持ってなかったんですが、今回で一気に人間臭さが出てきましたね。

 

 

 脚本に原作者が関わるということになったので、今後この脚本家がどういう立ち位置になるのか非常に気になるところなんですが、個人的にはアクアあたりがなんとか上手く立ち回ってくれるのかなぁとか楽観的に考えたりもしています。

 

 

 舞台編、ますます入り乱れてきましたね。

 来週が楽しみすぎます。

 

 

 それではまた。

 

 

 よしなに。