けろの漫画雑談所

漫画の感想・考察・妄想の集積所です。主にジャンプ作品についてだらだらと語ります。

【考察】禪院真依の死に関わる描写の解釈について【呪術廻戦】

Hatena

 ども……けろです……

 

 第149話で美しく、悲しく、それでいて清らかな最期を迎えた禪院真依……

 真依推しの僕としてはこのぐちゃぐちゃな感情をどう処理すればいいのか見当がつかなかったので、とりあえずクソデカ感情の塊をこうして言語化していく作業を通して心を鎮めようと思います。結果的に沈むかもしれませんが。

 

 というわけでやっていきます………キャラクター深堀回、禪院真依編です……

 

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1.「渡鳥」と「此岸と彼岸」

 

 今週号の最後のコマで描かれた鳥、あれは「雁」であり、渡り鳥の一種です。

 加えて真希と真依の別れのシーンは「波打ち際」を舞台にしており、真依は「沖合いに向かっていく」ことで真希と別れようとしていました。

 

 まずこの「海」についてですが、これは「此岸(=この世)」と「彼岸(=あの世)」の暗喩であると捉えることができます。つまり真希のいる砂浜からこちら側が「この世」であり、真依のいる海岸沿いから向こう側が「あの世」です。

 

 だから真希は沖合いに行こう(逝こう)とする真依を止めようとしたんですね。

 

 

 そこに「渡り鳥」である「雁」の描写。

 これは真依の暗喩でしょう。「一定の時期になると自ら別の地へ渡ってしまう雁」を、「時が来て真希の元から離れてしまう真依」になぞらえているんですね。

 

 

 これらの描写は全てサブタイトルである「葦を啣む」からきていると考えられ、それらは諺である「葦を啣む雁」由来です。

 

 ですが雁が渡り鳥であること、真依が自らの死で以って真希の僅かな呪力を消し去ったことから、ここに「立つ鳥跡を濁さず」という別の諺も含まれていると考えることができます。

 つまり真依は、「渡り鳥にとっての旅立ちの時に、此岸にある(真希に関わる)全てを清算して飛び立った」ということになるわけです……

 

 いやあまりにも美しく清らかすぎる……

 

2.自ら手を離した「嘘つき」な真依

 

 真依は幼少期、呪霊に怯えていた時にその手を真希に握られ、導かれていました。

 その時の真依と真希のやりとりは以下のようなものでした。

 

真依「お姉ちゃん、手放さないでよ」

真希「放さねーよ」

真依「絶対だよ?」

真希「しつけーな」

 

 ここでは真依が、真希に手を放さないでほしいと懇願していて、真希はそれに応じる形で二人の間に小さな約束が成立しています。

 

 だからこそ真希が真依を一人残して家を出た際に、真依は「嘘つき」と小さく口にしているわけです。

 

 

 じゃあ真依は何故、かつて自分がされたことと同じことを真希にしたのか?独り残される辛さを知っている真依が、なぜ。

 ここで生きてくるのが真希と真依の設定である「一卵性双生児」と、呪術における双子の同一性です。

 

 つまり真希と真依は比喩表現ではなく文字通りの意味で「二人で一人」であり、「アンタは私で、私はアンタなの」という真依の台詞からも分かるように「真希=真依」なわけです。

 

 真依の言う通り真希が「嘘つき」なのだとすると、それはそっくりそのまま真依に返ってくる。つまり真依も同様に「嘘つき」であり、だからこそ真依は最後の最後でかつて自ら握った真希の手を放したのではないか、と。姉と同じである種自分勝手な理由で片割れを残して去っていく姿、ああやっぱり姉妹なんだなと…………(ため息

 

 

 初恋も術式も教えなかった真依が最後に真希の手を放し、笑顔で旅立つのはあまりに残酷だけど、真希と真依が表裏一体のキャラクターであることを示しています。

 

 

 しんど………

 

 

 しかも真依は命を賭して構築術式で刀を作り出して、真希がそれを握りしめて戦うの、二人はこれから先ずっと一緒なんだね………

 

3.「なんで一緒に落ちぶれてくれなかったの?」の真意

 

 真希と真依が呪術上は同一人物であり、真依の存在が真希を半端者にしてしまっているということを踏まえると、第42話の真依の台詞の意味が変わってきます。

 

「アンタが頑張るから、私も頑張らざるを得なかった!!

 努力も痛いのももううんざり!!

 (中略)なんで一緒に落ちぶれてくれなかったの?」

 

 これまでも、この「なんで一緒に落ちぶれてくれなかったの?」という台詞の持つ重さについては話してきました。以前アニメ回の際にも取り上げましたが、これは負の方向での「一緒に頑張ろう」なんですよ。

 真依は真希の隣にいたいけれど、隣にいるには真依は力不足で、一緒に先に歩めないならせめて今のままずっと一緒にいたいという、双子だからこそ抱いてしまった劣情と愛情。

 

kero-entame-channel.hatenablog.com

 

 ただ、二人が「同一人物」という設定が開示された今、この言葉には別の意味が含まれていることがわかるんですよ。

 

 真希が頑張っても真依が頑張らなければ意味がなく、真希が強くなりたいと思っても真依がそう思ってないから無駄になってしまう。

 

 これってつまり、「私が頑張らないと(一心同体の縛りで結ばれている)真希の頑張りが無駄になってしまう」ということなんじゃないんでしょうか。

 

 

 でも真依には真希のような信念めいたものも、真希の側で一緒に歩けるだけの実力もなくて、真希が真っ直ぐ歩み続ける以上、いつか自分が邪魔になってしまう(≒自分が消えることが真希の夢を叶えることに繋がる)。

 

 そのことにずっと前から気づいていて、いつか自分が真希の目の前から消える日が来るかもしれないから、その日が来てほしくなくて、真依は真希に共に落ちぶれることを願ったんじゃないでしょうか。

 

 

 でも真希が術師を目指したから真依も術師を目指したし、真希が強くなることを望んだから真依も相応の努力をすることを選んだんですね………

 

 

 えっ何その姉妹愛………

 

 

 あまりにも姉想いすぎて息ができない……

 

 

 ヴヴヴヴヴヴ………(うめき声)

 

 

4.最期のキス

 

 真依がなぜ自分の限界値であるはずの「弾丸一発」以上を作り出せたのか。

 

 これは前述の「二人で一人」の設定、真依の死で覚醒した真希の描写から逆算すると腑に落ちてきます。

 

 真希と真依は「同一人物」であり、互いが互いの障壁となっていました。

 真希は術式を持っていないけれど、真依が術式を持っているから彼女の「天与呪縛」は不完全な形(=一般人並みの呪力は残った)だったし、真希が術式を持っていないからこそ真依の「構築術式」も不完全なままだった。

 

 

 「真依の死」によって真希の天与呪縛は完成し、甚爾レベルの身体能力を得る覚醒の時を迎えました。術式を持った真依が死ぬことで真希から呪力が消滅し、「呪力が完全にゼロ」という肉体を手にすることができたわけですね。

 

 これは実は真依にも当てはまり、真依は「自らの死」によって真希と不可逆的に離れることで「自身の術式」を完成させることができたのではないか、と。

 

 つまり真希と一緒にいる以上「構築術式」は不完全なままであり、真依は「自身の死」でそれを完全なものにしたわけです。

 真依が作り出した刀は、自らの命を燃やすことで生まれたものであり、真依の最初で最後の「完全な構築術式」だったんですよ……

 

 

 そう考えると真依が真希にした最期の口づけは、単に「別れ」を意味するのみならず、「互いの欠落を埋め合わせるキス」だったんだなと。最初で最後の口づけ…………うう……

 

 

 ここに至った時感情がぐちゃぐちゃになりましたよ、ええ。

 キスひとつにここまで多様な意味を持たせてくるの、あまりに残酷に美しい。

 

5.真希と真依の誕生花

 

 誕生花、というのは各日付に与えられた花のことで、365日にそれぞれの花が振り分けられています。

 

 どこで調べるかで定義が変わるし、明確な定義があるわけではないんですが、真希と真依の誕生日である1月20日の誕生花の一つに「キンセンカ」があります。

 

 

 その花言葉は「別れの悲しみ」……

 

 

 は〜〜〜〜〜しんどい

 

 

 前述のように誕生花はサイトや文献によって定義が異なるので作者がここまで設定を練っているのかは分かりませんが、仮に偶然の一致だとしてもしんどくなりますよ。

 

 

 真希と真依の別離が初期から練られていたのだとすると、僕はどんな感情を抱えて生きていけばいいんでしょうか……

 

 

 

 真依の人間臭さと、姉に対する愛情。

 それがある種報われたからこそ、真依は最期笑顔で旅立てたのかなと。

 

 呪術師に後悔のない死はないというけれど、せめて真依は悔いなく死ねたのだと思いたいです。

 

 

 

 長くなってしまいました。

 

 それではまた……

 

 

 よしなに。