ども、けろです。
何やらキャッチーというか挑戦的なタイトルで申し訳なさを感じていますが、どう頭を捻ってもこれが一番ストレートに記事の内容を伝えられそうな気がしたので許してください。
というわけで久しぶりのヒロアカ考察回です。
前回が「ヒロアカ世界における軍隊」という割とニッチな内容かつ「世界観」という大枠に対する考察だったのですが、今回はキャラクター像というミクロな視点での考察になります。
やっていきましょう。
- 1.仮説の提示
- 2.「行動派オタク」のデク
- 3.デクのキャラクター像の矛盾点〜思想と行動の不一致〜
- 4.デクのリアリスト的側面
- 5.体育祭での普通科生・心操との対比
- 6.オールマイトに突きつけられた残酷な現実
1.仮説の提示
まずはいつも通り、考察の前提となる仮説の提示からいきましょう。
例の如くタイトルの時点で出オチしていますが、多めに見てやってください。
仮説:ヒーローに憧れるデクは、心のどこかでヒーローになることを諦めていた
ここで大事なのは、「デク自身そのことを主体的に認めていなかった/認めたくなかった」という点です。最初から諦めていた、というよりは、どこかに諦める自分がいたのだけれど、見ないふりをして生きてきた、ということです。
2.「行動派オタク」のデク
まず大事になってくる緑谷出久、デクという人間のキャラクター像です。
ご存知の通り、彼は自他共に認める「行動派オタク」です。
具体的には以下の2点でしょうか。
2-1.スクラップブック
第1話でも披露されていましたが、デクは自分がかっこいいと思った/憧れたヒーローの特徴や戦い方、必殺技等の詳細を専用のスクラッチブックを作って研究していました。
その成果は第1話で爆豪が敵に襲われてピンチになった時にヒーロー・シンリンカムイの必殺技「ウルシ鎖牢」を模した攻撃等に現れています(あとは序盤のデクvs爆豪における「爆豪は最初右の大振りで攻撃する」を先読みしていたこととかもそうですね)。
こんな感じで、デクは「自分がヒーローになるために必要な要素」として、優れた先達の動きやクセを研究する熱心さがあります。
2-2.雄英高校志望
加えてデクは、「ヒーロー」を志すにあたって必須となるヒーロー科進学に際し、その志望校を雄英高校としていました。
作中では士傑高校や傑物学園等のヒーロー科も登場していますし、ヒーロー飽和社会ともなれば有象無象も含めるとヒーロー科の数は全国各地に無数にあると言えるでしょう。
その中でデクはヒーロー科最高峰である雄英高校を選択し、その理由を「雄英はオールマイトの出身校だから」と述べています。
チープな言い方をすれば「憧れの人と同じ学校に」なんですが、深堀すればそこにあるのは「ただのヒーローではなく、憧れの人と同じ土俵に立ちたい」という願望が透けて見えてきますし、デクは「オールマイトの歩んだ道を追いかけることでオールマイトのようなヒーローになりたい」という行動理念を持っていることがわかります。
つまり、デクは物語最序盤から一貫した行動理念を持ち合わせており、自分の頭で考えて行動する分析家として描かれていたということです。
3.デクのキャラクター像の矛盾点〜思想と行動の不一致〜
ですが、そのデクの理念・理想と、物語第1話時点での彼の行動には明確な矛盾点が存在します。
それが、「ヒーロー科を志すにあたって必須となる身体的トレーニングの一切を行っていない」という点です。
それこそ連載初期はこれが批判の対象にもなりました。「行き当たりばったり」「ラッキーでヒーロー目指せるお話」という意見も目にした記憶があります。
ただ、前述の通りデクという人間のキャラクター像はかなり綿密に組み上げられていて、それは最新話までブレていません。
そんなキャラクター設定を持つデクの描写として、明らかに矛盾する点があるというのは個人的に引っかかります。
というのも、ヒーロー科は学科試験だけではなく実技試験も行われ、そこでの得点が合否に大きく関わります。
当然ヒーローが行うのは人命救助や敵の退治といった命のやりとりであり、一歩間違えば自らの命を危険に晒す現場です。いかに受験当時中学生といえど、最低限のトレーニングは必要ですし、そうしなければ試験を突破できません。
ましてデクは無個性です。無個性のデクが(無個性の合格者の前例のない)雄英高校合格を目指すにあたって、(優秀な)個性持ちの他の受験生と競うのであればベースとなる肉体だけでも仕上げておかなければスタートラインにすら立てないはずです。
そんなデクが、受験まで1年を切っている現状で特に際立ったトレーニングを行っていないのは、彼の人物像である「行動派オタク」と明らかに矛盾します。
つまりデクは物語開始時点で「雄英志望」を口にしてはいたけれど、そのために必要な努力の一部を怠っているし、その努力を始めたのは「オールマイトに個性を授かってから」です。
デクは、本当にヒーローになりたかったのでしょうか
4.デクのリアリスト的側面
加えてデクは比較的リアリストな人間です。
林間合宿でのマスキュラー戦では(戦闘後伝令をする必要があるという理由で)計算して「足を残した」と述べていますし、それ以前の体力測定でも「制御しきれない個性でいかに乗り切るか」を考えて「指の破壊」を選択しています。
他には体育祭での轟焦凍戦でも、自身の「指の残り本数」でなんとか焦凍を攻略しようと考えるなど、デクは「今ある材料でいかに状況を打開するか」を考える人物です。
要するに「根性論」「土壇場で強くなれる自分」のような楽観視は決してせず、現実に即した上でどう行動するのが最善なのかと常に考えているんです。
そんなデクが、「無個性」の彼が、それでもヒーローを目指そうとするならば、彼は「無個性の自分」を一つの駒として受け入れ、なおかつ「その上でどうすればヒーローになれるのか」と考えるのではないでしょうか。
でもそれをしなかった。彼はただ漫然と日々を過ごしていて、街中に現れた敵やヒーローに対しても1人の市民としての視点から感想を述べているだけで特に何か特別なことをしているわけでもない。
僕にとって、そんなデクは「ヒーローになりたいと決意して努力する人物」というよりも、「自分はヒーローになれないと無意識で諦めているが、それでもどこかで夢を捨てきれない、ヒーローワナビーのティーンエイジャー」として映りました。良い悪いの話ではありませんし、批判でもありません。ただ純粋に、そういう人物として解釈することもできるのではないか、という話です。
5.体育祭での普通科生・心操との対比
それが対比として描かれているのが、体育祭での心操戦です。
「洗脳」という、ヒーローっぽくない個性を持ちながら、それでもヒーローという夢を諦めずに邁進しようとしている心操は、超パワーのデクを見て「お誂え向きの"個性"に生まれて、望む場所に行ける奴らにはよ!!」と叫びました。
それに対してデクは、「僕は恵まれた」という独白で返しているんですね。
この「恵まれた」というのは間違いなくオールマイトに目をかけてもらい、あまつさえその個性を譲渡されたことです。
つまり逆説的にいえば、デクは「個性を貰えなかったら自分はヒーローになるための道に立てなかった」と"思っている"ことになります。
6.オールマイトに突きつけられた残酷な現実
それを裏付けるように、デクは第1話でオールマイトに「プロはいつだって命懸けだよ。「"個性"がなくても成り立つ」とはとてもじゃないがあ…口に出来ないね」と諭された後、「泣くな!わかってたろ!? 現実さ……わかってたから…必死こいてたんじゃないか……!!見ないように、見ないようにって」と涙を浮かべながら独白しています。
「見ないように」というのは前段の「現実」に対して向けられた言葉です。
つまりデクは、「(無個性ではヒーローになれないという)現実を見ないように必死で生きてきた」と自覚していたことになります。
ですが、それはデクからすれば「分かっていたこと」のはずです。
幼馴染の爆豪はデクに何度も「無個性のお前がヒーローになれるはずない」と罵っていますし、肉親である母も「(ヒーローになれる個性を与えられなくて)ごめんね」と泣いていました。
要するにデクの周りには、オールマイトに出会う以前から「気づきを与えてくれる人物」はいたわけです。
にも関わらずオールマイトに言われるまで踏ん切りがつかなかったのは、「他の誰でもない、自分が憧れたヒーローその人に、自分の無謀な夢を諦めさせてほしかった」という思いがあったからじゃないでしょうか。
そんなデクが「君はヒーローになれる」と肯定された時、一体何を思ったんでしょうか。
命のやり取りをしているヒーロー本人から、今まで自分すらもどこかで否定していた夢を肯定されて、デクはやっと踏み出す決意ができたんじゃないかなと。
そう考えながら読み返す第1話は、これまでと違った読後感がありました。
逆境の中がむしゃらに前を向く主人公としてのデクではなく、今まで向き合ってこなかった「自分」と向き合い、踏ん切りをつけようとしていた時に救われた1人の少年としてのデク。
キャラクター像に関する深堀はあまりしてこなかったんですが、こうして言語化するとスッキリしますね。
他にも気づいたことや思ったことがあったらこうして記事にしたいと思います。
それではまた。
よしなに。