けろの漫画雑談所

漫画の感想・考察・妄想の集積所です。主にジャンプ作品についてだらだらと語ります。

【考察】死滅回游は現代版蠱毒か【呪術廻戦】

Hatena

 ども、けろです。

 ジャンプ最新16号の展開が怒涛でしたね。

 

 新章はまさかのデスゲーム、死滅回游編。

 この死滅回游が古代中国における蠱毒なのではないか?と思い至ったので、今回はその件について考察していこうと思います。

 

1.古代中国における呪術、蠱毒とは

 

 まず考察の出発点となる前提、古代中国における蠱毒とはそもそもなんなのかを整理していきましょう。

 

 前提:蠱毒は動物を用いた呪術の一種で、共食いにより神霊を作り出す行為を指す。

 

 詳しくは下記のWikipediaのリンクを読んでいただければと思いますが、簡単に概要を説明すると、蛇やムカデ、ゲジや蛙などの毒虫を一つの壺の中に入れ、共食いの果てに生き残った一匹が極めて強い毒を宿す神霊となることを指し、これを人に危害を加えるために用いたりしたそうです。

 

ja.wikipedia.org

 

 ここで押さえておいてほしいのは、蠱毒は共食いを前提とし、最後に生き残った者に大きな力が宿ると考えられていたということです。

 

2.死滅回游の終着点

2-1.死滅回游の特徴

 

 では次に、呪術廻戦における死滅回游にまつわる設定やルールを軽くおさらいしましょう。全て書き出すと文量が多くなるので本項に関わる箇所のみの抜粋です。

 

・泳者は他泳者の生命を絶つことで点を得る。

・泳者は100得点を消費することで管理者と交渉してルールを一つ追加できる。

・泳者の数は(偽夏油の発言を鑑みるに)最低でも1000人

・非泳者は術師/非術師に関わらず自主的に死滅回游に参加できる

 

 これらの情報を整理すると、1000人近い泳者に加え、後から参戦する非泳者が互いの点を競って争うことになります。

 そもそも泳者が死滅回游に参加する必要性・必然性というのは未だはっきりとしていない(≒参加しないことによるデメリットがあまりない)のですが、それに関してはここでは触れません。

 

 ですが新しい泳者が結界内に投入されない限り、いずれ泳者の数は減っていき、最終的な生き残りというのは数人レベルになっていくと予想できます。特に非術師は真っ先に狩られる対象となりますし。

 

2-2.海外版ジャンプの翻訳から考える 

 

 では次に、今回の143話の英語訳という別視点からアプローチしてみましょう(SNSで流れてきたものを偶然見ただけですので画像は貼れません)。

 

 死滅回游の英語訳は"The Culling Game"でした。日本語にすると「淘汰戦/ゲーム」となります。

 ジャンプ作品の英語版に原作者がどこまで関わっているのかは正直微妙なところではありますが、少なくとも原作のニュアンスを崩さないような配慮はされているはずですので、この訳も全くの的外れというわけではなさそうです。

 

 「淘汰」という言葉には「環境に適応した生物が子孫を残し、他は滅びる現象。不必要なもの、不適当なものを除き去ること」という意味があります(淘汰(とうた)の意味 - goo国語辞書より抜粋)。

 

 つまりこの死滅回游は、呪力・呪術を用いたデスゲームであり、その過程で術師としての生存競争に生き残れなかった者を排除し、最も呪力・呪術(≒環境)に適した者を選別する行為と言い換えることができます。

 デスゲームの生き残りですから、当然他の者と比較しても強者であることには疑いの余地はないでしょう。

 

 淘汰の末の強者の選別、呪術としての「蠱毒」と符合する点がありますね。

 

3.偽夏油の目的

 

 死滅回游=蠱毒とすると、本ゲームの管理者たる偽夏油の目的も自ずと導けそうですね。

 

 彼の目的の片鱗はジャンプ8号の第136話にて「"人間"という"呪力"の形の模索」であることが明かされています。そして彼は続けて「私から生まれるモノは私の可能性の域を出ない」と述べていました。

 

 彼の目的は「可能性の模索」でしたが、それと同時に彼はそれがもはや自身の手では成し遂げられないということにも気づいているようです。恐らくこれまでも何度となく模索と挑戦を続けてきたのでしょう。何せ彼は1000年以上前から肉体を転々として生き永らえている存在ですから。

 

 だから彼は「泳者が自身の手でルールを追加できる」という新たな側面を持つ「デスゲーム」を作り上げたのではないでしょうか。

 

 「ただの蠱毒」ではなく、そこに他者の意思や利害・矜持や感情が複雑に入り乱れることで「可能性」の幅は広がっていく。三人寄れば文殊の知恵とはよく言いますが、彼はその状況を強制的に作り出そうとしている可能性がありますね。

 

 

 だから彼はその第136話にて「私が創るべきは私の手から離れた混沌だったんだ」と発言している。自分が舞台を整え、その上で自分は管理者としてゲームには直接参加はしない。まさに彼の目的に添うゲームです。

 

 

 彼が死滅回游を通して何を成そうとしているのか、その最終目的は未だ分かりませんが、その過程で彼が「現代版蠱毒」を行おうとしているのではないかという点は、頭の片隅に入れておいてもいいかもしれません。

 

 

 

 それではまた。

 

 よしなに。